<集合知は合議の不可能性を乗り越えるか。ミツバチ、アロー、センから考える「みんなで決める」という難問について>
帽子屋は、三月ウサギを見ながら、「三月十四日だったと思います」と言いました。三月ウサギはヤマネと腕を組んで、帽子屋のあとについて法廷に入ってきていました。「十五日だよ」と三月ウサギ。 「十六日だよ」とヤマネ。 「書きとめておけ。」王様に申しつけられた陪審員たちは、一生懸命その三つの日付を石板に書きとめ、それから三つの数字をたして、それをシリングとペンスに換算しました。
帽子屋は「3月14日」、三月ウサギは「15日」、ヤマネは「16日」と証言する。すると『不思議の国のアリス』の王様は、陪審員たちに3つの日付を書き留めさせ、それを足し合わせて英国通貨シリングとペンスに換算させる。
3人の意見を集めて「集約」するという手続きだけを見れば、どこか民主的ですらある。しかし当然、出てきた答えには何の意味もない。集約の仕方を間違えれば、民主主義は機能しない。
ハートの王様へ証言された3つの日付をシリングとペンスへと「集約」するのは不思議の国の不条理劇だとしても、実際の人間社会で群衆行動や集合愚と呼びたくなるような例は、決して珍しくない。
私たちの社会で行われている「みんなの意見を集めれば、よりよい答えに近づける」という試みも、考えてみればそれほど単純ではない。みんなの意見を活かそうとする上で、集合愚の危険は原理的に避けて通れないのだろうか。
トーマス・シーリー著・片岡夏実訳『ミツバチの会議──なぜ常に最良の意思決定ができるのか』(2013、築地書館)が、ミツバチからの助言をくれる。ミツバチの群れは、巧みに集合愚を防ぐらしい。
春先に分蜂したミツバチの群れは、たくさんの働きバチを派遣して新しい住処の候補地を探す。良さそうな候補地を見つけた働きバチは、帰るなり尻振りダンスで他の個体をその候補地へと動員する。訪れた候補地の質が良いほど長い時間尻振りダンスを行うので、よりたくさんの調査隊が質の良さそうな場所へさらに派遣される。
一見するとこれは、口コミサイトでの意見形成の様子とよく似ている。では、これが口コミサイトだとすると、ミツバチの群れでも、質の高くない候補地が流行ってしまう集合愚は生じないのだろうか。
実は、ミツバチの群れでは、そうした質の低い候補地が大流行りすること、要するに「バズる」ことは、案外少ないらしい。
探索の行き先は口コミ宣伝に流されてしまうミツバチだが、意思決定の全てが他者を頼るわけではない。ミツバチは、訪れた場所の評価については他者の意見に流されず、自分の物差しだけを頼るという。いくら熱心にダンスされた、「口コミ評価の高い」場所だとしても、調べてみて質が低そうだと自分が判断したのなら、その選択肢への尻振りダンスを自分からは行わない。
シーリーたちによる「ミツバチ集団の世論形成ダイナミクス」とも呼べる数理モデルのシミュレーション研究によれば、この「判断の独立性」が誤り補正の役割を担うおかげで、質の低い選択肢が集団全体へと「バズる」ことが防がれる。
ミツバチ集合知の鍵は、他者にうまく頼る集合的な情報探索と、他者からは影響を受けない独立な価値判断との組み合わせにあるようだ。みんなの意見は、自分の意見をそれへ合わせるのではなく、情報探索の便利なガイドとして活かすのがいいのかもしれない。