暗い部屋で懐中電灯をつける。するとどんなことが起こるかは、簡単に予測できるだろう。懐中電灯から、それが向けられた方向へと光が一直線に走る。

そんなの当たり前じゃない? あなたはそう思うかもしれない。私たちが日常的に目にする世界では、光は、はっきり1本の経路を進む(ように見える)からだ。

ところが、量子力学の世界には、もっと奇妙な現実が存在する。原子レベルで見ると、光は一直線に進むものばかりではない。光の粒子は、同時にあらゆる経路をたどる。確かに一直線の経路もあるが、壁にぶつかって跳ね返ったり、曲がりくねて進んだり、大きく迂回してから最終点にたどり着く粒子もある。

つまり、自然はこうした可能性を全て同時に「生かして」いる。それが1つの結果として現れるのは、光が「観測」された測定後のことだ。そこで観測された経路(通常は直線だ)は、ほかの全ての経路が相互作用した後の、最も確率の高い結果にすぎない。

そんなことはあり得ないと思うかもしれないが、それが量子力学の中核を成す概念だ。こうした奇妙な量子効果を活用すれば、全く新しいタイプのマシン、すなわち量子コンピューターをどう構築できるかを理解する手掛かりになる。

重ね合わせ 

日常的な感覚として、物理学はとても分かりやすい。テニスボールはテーブルの上にあるか、ないかのどちらかだし、電灯はついているか、消えているかのどちらかだ。別の部屋にいて分からなくても、物体は既に一定の状態にある。

量子力学は、こうした「通常の」ルールに沿っていない。量子力学の法則では、誰かが観測するまで、結果は定まっていない。

全ての物質は非常に小さな粒子から成っている。その粒子は常に激しく動き回っており、特定の状態に定まっていない。つまり現実そのものが定まっていないのだ。

電子や光子や原子といった粒子は、複数の状態を同時に持つ「重ね合わせ」の性質を持つ。有名な思考実験「シュレーディンガーの猫」はその代表例だろう。

量子デバイス(放射性物質とガイガー計数管を使用した装置)と、装置が作動すると割れる毒入り瓶と共に箱に密閉された猫は、誰かが確認(測定)するまでは、生きていると同時に死んでいるという「重ね合わせ」だ。

奇妙に感じられるかもしれないが、この重ね合わせは量子力学の実験では繰り返し確認されている。ただ、こうした量子の状態は非常に壊れやすい。熱や振動、浮遊磁場、他の粒子との偶発的な接触など、環境との相互作用によって重ね合わせが壊れると、同時に存在していた複数の状態が1つの確定した状態になる。

物理学では、このプロセスは「デコヒーレンス」と呼ばれる。量子の世界はよく、コイントスになぞらえられる。コインが空中で回転しているときは、最終的に表が出るか、裏が出るかは分からない。どちらの結果もあり得る。

量子力学でも、1つの粒子は同時に複数の状態で存在する。そして測定がなされたとき初めて特定の結果を「選択」する。

このように確率的に広がっていた状態が、観測の瞬間に1つに確定するプロセスは「収縮」と呼ばれるが、その理由はまだ解明されていない。

音楽のストリーミング配信を思い起こしてほしい。サービスを利用するまでは、さまざまな曲はデータで存在していて、どの曲でも聴くことができる。しかし再生ボタンを押した瞬間に、耳にするのはそのうちの1曲だけになる。量子力学において、粒子の測定がもたらす効果は、これに似ている。

量子もつれ 

二重スリットの実験が量子力学を理解するカギ
発射された電子が波のように広がりながら2つの隙間(スリット)を同時に通り、向こう側の壁にぶつかってしま模様が現れる。「重ね合わせ」と呼ばれる現象だ AI GENERATED IMAGE BY NEWSWEEK JAPAN VIA CHAT GPT

重ね合わせは、量子力学の奇妙な特徴の1つにすぎない。このほかにも「量子もつれ」という特徴がある。これは2つの粒子が、見えない絆によって深く結び付いていて、互いが遠く離れていても、相互作用を起こす現象だ。

2つの粒子が特定の相互作用をするときに、もつれが生じる。もつれた一方の粒子を測定して1つの状態が確定すると、その瞬間に、もう一方の粒子の状態も確定する。

アインシュタインは、そんなことはあり得ないとして、このつながりを「不気味な遠隔作用」と呼んだ。そして量子理論は不完全だと主張した。だが、量子もつれが存在することは多くの実験で証明されている。

この現象は2人のダンサーを思い浮かべると分かりやすい。多くの練習を重ねた結果、2人は別々の舞台にいても、そして言葉を交わさなくても、ぴったり同じ動きをすることができる。それは2人が同じ振り付けを一緒に覚えたおかげだ。

奇妙な振る舞いを利用 

こうした現象をコンピューターの未来にどう生かせるのか。

従来型のコンピューターは「ビット」という単位を使用している。ビットは0か1のどちらかの値を取る。電気のオン/オフ・スイッチのようなものだ。写真も動画もメッセージも0と1が延々と並んだ配列として表される。

一方、量子コンピューターが使うのは「量子ビット(キュービット)」だ。量子ビットは0か1だけでなく、その両方を重ね合わせた状態を取ることができる。そのため量子ビットが2個あれば同時に4通り、10個なら1024通り、300個あれば、宇宙に存在する原子の数を上回るほど多くの状態を表現できる。

現状ではまだシステムの安定性などクリアすべき課題はあるが、量子コンピューターが目指すのは驚異的な高速性、つまり古典的コンピューターでは何億年もかかるような計算を瞬時にこなすことだ。

例えてみれば従来型コンピューターの演算処理は、1人のランナーが迷路のルートを1本ずつ順番に試すようなものだ。行き止まりになったら出発地点に戻って、別のルートに向かう。対して量子コンピューターは、複数のランナーが全てのルートを同時に試すようなもので、誰か1人は一発でゴールに到達できる。

量子コンピューターをメールの送受信や表計算、動画の視聴といった用途に使っても意味はない。こうしたタスクなら既存のコンピューターで十分だ。量子コンピューターが真価を発揮するのは、世界最強の古典的コンピューターでも手に負えないような複雑な問題の解決である。

例えば、分子同士の相互作用をシミュレーションして新薬の開発に役立てたり、太陽光パネルやバッテリーなどの性能向上につながる新素材を発見したり、暗号技術を進歩させるなどの分野では量子コンピューターが威力を発揮するだろう。

秘密を守る鍵 

ネット上で送られる銀行のログイン情報や医療記録、個人的なメッセージなどは、デジタル通信の秘匿性を守る代表的な手法「RSA暗号」で保護されている。

仕組みはこうだ。2つの大きな素数を掛け合わせるのは簡単だが、その掛け算の答えから元の2つの素数を突き止めるのは極めて難しい。RSAはこの素因数分解の難しさを利用した暗号で、既存のコンピューターでこれを解くには何十億年もかかる。

ところが、94年に数学者のピーター・ショアは十分に強力な量子コンピューターであれば、RSA暗号を数時間で解けることを証明した。現在の量子コンピューターにはそこまでの能力はないが、今後10~20年で暗号解読ができるようになる可能性はある。

そのためサイバーセキュリティーの専門家はハッカーによる「いま収集して、後で解読する」手法に警鐘を鳴らす。暗号化されたデータを集め、将来的に量子コンピューターで解読する可能性があるからだ。

量子コンピューターは新たな防御手段ももたらしてくれそうだ。例えば「量子鍵配送(QKD)」は、観測によって量子の状態が乱れることを利用して、傍受を検知し対処する技術だ。誰かが量子通信をのぞき見すると、量子の状態が攪乱されるため傍受されていることが分かり、盗まれた情報が無効化される。

中国の研究チームが17年に通信衛星を利用したQKDの実証試験に成功した。こうした動きを受けて、今では各国政府が量子コンピューター時代にも通信の秘匿性を守れるネットワークの開発を進めている。

とはいえ、技術の進歩は倫理的な問題も突き付ける。量子コンピューティングはタンパク質の構造解析といった研究に役立つ一方で、機密を盗むためにも使われかねない。

高性能の量子コンピューターをいち早く開発した国や企業は競争相手より圧倒的に優位に立つことになる。量子技術は文字の発明や核兵器の開発のように文明の行方を左右する力を秘めている。テクノロジーそのものは善でも悪でもない。問題は人間がそれをどう使うか、である。

量子技術の現在地 

グーグルは19年に量子コンピューター「シカモア」が、世界最速のスーパーコンピューターでも1万年かかるような計算を200秒で処理したと発表した。この主張には異論もあり、計算そのものにも直接的な実用性はなかった。それでも「量子の恩恵」を示した点で、重要な一歩だった。

現在はIBMやグーグル、イオンキュー(IonQ)などの企業や多くの大学が、より大規模で信頼性の高い量子コンピューターの開発に取り組んでいる。

最大の問題は、量子ビットが極めて壊れやすいことだ。かすかな振動や光の干渉、温度の変化でさえ量子の状態を乱しかねず、大半の量子コンピューターは宇宙空間よりも低温に保つ必要がある。

量子コンピューターは私たちが普段使いするパソコンにはならないだろう。それでも新たなイノベーションの一翼を担い、医療や材料科学、サイバーセキュリティーを大きく変える可能性がある。影響は少しずつ表れる。

当面は研究用ツールにとどまるとしても、10~ 20 年後にはさまざまな分野に実装され、私たちもその恩恵を実感できるだろう。

ピーター・ショア
数学者のピーター・ショアは94年、古典的コンピューターには解読不能な暗号が量子コンピューターで解けることを理論的に証明した CHRISTOPHER HARTING/MIT

The Conversation

Aldo Romero, Professor of Physics and Astronomy, West Virginia University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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