山崎の『社交する人間』はヨーロッパ文明のみを論じているわけではない。むしろ人間の文明を「社交」という概念から捉え直してはどうかという、一回り大きい視点を提起しているのである。その流儀の些細な一例を挙げれば、いわゆる近代的自我なるものにしてもイタリア・ルネサンスの社交から生まれたのだと示唆している。
キリスト教という一神教の必然として生まれたのではない、社交の場で目立ちたいという欲望から生まれたのだ、それが起点になったというのである。唯一神との対話など、後付けの神話にすぎないことになる。説得力がある。
人間は余裕があって社交に勤しむようになったのではない。社交に勤しみたいからこそ余裕を作り出したのだ、という逆説の射程は大きい。
装身具が欲しいからそれと交換するために相手の欲しがるものを手に入れようと努力したのであって、余裕が出来たから装身具を求めるようになったのではない──「ある」身体が「する」身体を引き寄せたのであって逆ではない──ということだ。
つまり、社交の逆説は、経済の逆説、政治の逆説を引き連れているのである。社交が経済を生んだのであって、経済が社交を生んだのではない。自分を他人に見せびらかしたいという人間の欲望は熟考に値する。
逆説は小林の愛好するものだが、小林は経済、社会、政治にまでは手を出さなかった。感想を漏らしはしても、論じることはなかったと思える。山崎にしてみれば、そんな文学趣味に付き合ってはいられないというところかもしれない。
山崎の視野は広い。小林は、『感想』にせよ『本居宣長』にせよ、自身の身の回り以外からは始めなかった。まったく違うと言われそうだが、『社交する人間』から『世界文明史の試み──神話と舞踊』への展開を見ていると、そうとばかりは言っていられない。
後者の副題の「神話と舞踊」の二文字は、山崎が小林のきわめて近くに位置していたことを端的に物語っているのである。
論じ方すなわち文体がまったく違うので、思いがけないという印象を受けるだろうが、「する」身体と「ある」身体は、小林風に言えば、それこそ「歴史と文学」──すなわち生に接する2つの流儀──の問題であり、小林が柳田に接近したのも、人間の身体というものの機微にじかに触れる──それこそ近代に生まれた民俗学の役回りである──ためだったとさえ言っていいからだ。
柳田を近代日本文学の古典の地位に一気に引き上げたのは小林にほかならない。ということは、小林はじつは山崎が抱え込んでいた問題を先取りしていたということである。
※中編:山崎正和からは「演劇人」の匂いがしなかった…劇作家から身体の哲学へ に続く
三浦雅士(Masashi Miura)
1946年生まれ。弘前高校卒業。1969年、青土社創立と同時に入社。『ユリイカ』、『現代思想』編集長などを務める。『メランコリーの水脈』(福武書店、サントリー学芸賞)、『身体の零度』(講談社、読売文学賞)など著書多数。
