<遠く見えて、近かった二人について。論壇誌『アステイオン』103号より「山崎正和の未来 意識から感情へ」を3回に分けて全文掲載。本編は前編> 

山崎正和と小林秀雄

2025年8月28日、東京赤坂のホテルニューオータニで山崎正和をめぐるシンポジウムが開かれた。

私はそこで「山崎正和の未来」と題した基調講演なるものを行ったのだが──私は自分がその任に堪えるものではないことを熟知しているが断わり切れなかった──、続くパネルディスカッションの冒頭で、ボードメンバーのひとりである牧原出が、聴衆の参考に供すべく流した山崎正和の録音された肉声を聴いて一種異様な感銘を受けた。

ただ一度だけだが電話でじかに聴いた小林秀雄の肉声を思い出したからである。やや高音な噺家風の声で、確かにどこか雰囲気が似ている。録音された声と電話越しの声、いずれにおいても特徴が強調されるのかもしれない。

山崎正和は2020年8月19日に亡くなった。享年86。会合は本来ならば逝去から間を置かずに開かれるべきものだったのだが、コロナ・パンデミックに阻まれ、大幅に遅れたのである。

私は人が幽明界異にするなどとはまったく思っていない、山崎もまたいまなおその著作のなかで旺盛な執筆活動を続けている──執筆は読者に思いが伝わってはじめて完了するわけだが同時にそれは何ごとかの始まりなのだ──と信じているので、会合の遅れなどおよそ気にならないのだが、山崎の声が小林の声を思い出させたというそのことにはこだわらざるをえなかった。

長年の思い込みが裏返ったからである。裏返ったそのことを山崎に伝えるべきだったし、おそらくは苦笑したであろうその苦笑を確かめておきたかったと強く思ったのである。まさに取り返しがつかない思いだった。

私は、好運にも、山崎正和、丸谷才一の3人で晩餐を取ったことが何度かある。一度は山崎夫人も含め4人だった。丸谷は2012年10月に亡くなっているが、この顔触れでの会食がよほど気に入っていたのだろう、生前何度も声がかかった。

毎回話は尽きなかったが、なかでも忘れられない話題のひとつに小林秀雄のことがあった。丸谷も山崎も小林嫌いで有名だったが、二人がたびたび供してくれた体験談に、おそらくは何かの文学賞授賞式後の立食パーティでのことだったと思うが、小林が大江健三郎をつかまえて人前でこっぴどく叱ったというものがあった。

とにかく威張っていたというのだ。二人ともその場に居合わせて目撃しているわけだから、説明には迫力があった。

この話が強く記憶に残ったのは、描写されたその様子が、電話で聴いた小林の声の印象とまるで違っていたからである。

私は1970年代に『ユリイカ』『現代思想』の編集者だった。その『ユリイカ』1974年3月号が特集「大江健三郎──その神話的世界」で、10月号が特集「小林秀雄──批評とは何か」である。おまけに付け加えれば、『現代思想』1975年4月号が特集「柳田国男──その方法と主題」である。

誌名が違うのは、1975年早々、社内事情があって、私は『ユリイカ』から『現代思想』の編集長に転じていたからである。雑誌は編集人とともに変わる。誌名は変わっても編集方針は一貫していたと考えていただきたい。

ほぼ1年のうちに大江、小林、柳田の特集号を揃えているというのはどういうことか。もちろん、連動していると確信していたからである。