契丹文字契丹小字/public domain

また、日本語のように漢字を変形させたものではないが、「漢字っぽい文字」を作り出して対応した人々もいる。10世紀に東モンゴルで勢力を拡大した契丹(遼)では、契丹大字と契丹小字という2種類の文字が契丹語を表すために作られることとなった。

さらに11世紀には、オルドス周辺に建国された西夏でも西夏語を表すために西夏文字が作られ、12世紀には東北アジアで建国された金で、女真語を表すために女真文字が作られた。

女真文字だけは契丹大字をもとにしているため厳密に言えば異なるものの、これらの文字は明らかに漢字を真似た字形をしており、「擬似漢字」と呼ばれている。重要なのは、漢字を模倣しながらも、新たな文字を作り自らの言語を表そうとした点である。

10〜12世紀のユーラシア東方は、複数の王朝が並び立つ「多核化の時代」と呼ばれる。五代・北宋・南宋といった漢語王朝(漢語を用いる王朝)とならび、契丹(遼)・西夏・金といった、中央ユーラシアの流れをくむ非漢語王朝も勢力を伸ばした。

彼らにとっては漢語王朝と外交を行うにあたり、文化的に肩を並べるためにも、新たな文字を作り出さざるを得なかった。もちろん、漢文が書ける知識人もこれらの国には多数いたが、それだけでは十分とはもはや考えられていなかった。自らの文字を持つことに、政治的な意味があった。

漢文は、日本人が漢語を全く話せなくとも漢詩を詠んだように、非漢語話者であっても読み書きを習得できることを最大の特徴とする。それゆえ、周辺地域の人々が漢文を習得し中国に合わせてしまうことが、多言語間のコミュニケーションにおいて一番労力の少ない解決法と言える。

しかし、それは「外国語」で外交を行わなければならないということを意味し、そうなれば政治的に漢語王朝より下の立場とならざるをえなかった。さらには、文化的に中国に取り込まれる危険性をも内包した。だからこそ、日本の仮名文字も含め中国の周辺では歴史上多くの文字が作られてきたのであろう。

漢字には圧倒的な「求心力」がある。これはローマ字のような表音文字が、異なる言語へと次々と伝播し、拡散していく「遠心力」を持つのとは対照的な特徴と言えよう。非漢語話者にとって、漢字と付き合うためには、適切な距離感が必要だったのである。

我々日本人は、取り込まれるどころか漢字を取り込んで日本語を表す文字としてしまうことにまで成功しており、漢字の「付き合いにくさ」を克服できた希有な例と言える。それこそ我々が、非漢語の国のなかで最後まで漢字を使い続けることができている秘訣なのかもしれない。

齊藤茂雄(Shigeo Saito)
1980年生まれ。大阪大学文学研究科文化形態論専攻博士後期課程修了。専門は古代中央ユーラシアの遊牧民族史。大阪大学文学研究科助教、帝京大学文化財研究所講師を経て、現在、帝京大学文学部史学科准教授。主な著書に『アク・ベシム遺跡を掘る』(勉誠社、編著)、『砕葉史研究』(帝京大学出版会、共著)、『アニメで読む世界史2』(山川出版社、共著)などがある。「突厥碑文の歴史叙述にみる政治的意図」にて、サントリー文化財団2013年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。
 

 

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