ジャファーが「ノー」と言っていたら、映画は生まれていなかった。彼は「少し考えさせて」と言い、後から連絡をくれた。再び会って、映画は叔父マイケルへの素晴らしいオマージュになると説明した。でもうまくいく保証はどこにもなかった。
当時参加していたキャスティング担当者の1人は、ジャファーにはマイケルは無理だと言った。私はジャファーに対して強い確信を抱いていたから、残念ながらそのキャスティング担当者は外すことにした。
マイケルと活動したバックダンサーや振付師にジャファーを預けて3週間指導してもらったが、彼には無理だろうと言われた。「マイケルのように踊れなければ、この話は終わりだ」とジャファーに伝えると、「少しだけ時間を下さい」と彼は言った。
1カ月後にジャファーから連絡があり、マイケルの家に呼ばれた。そして彼のパフォーマンスに度肝を抜かれた。彼は「ビリー・ジーン」や「スタート・サムシング」をやってのけた。信じられなかったが、映画は実現に向かっていた。
──撮影終了後に大幅な脚本の変更と撮り直しがあったそうだが。
撮影が終わってから、作中のストーリーの一部に、遺産管理団体が法的に使える権利のない箇所があることが判明した。6年もの歳月を費やした後に、その事実を知った時は本当に打ちのめされた。2つの選択肢しかなかった。映画を中止するか、解決策を見つけるか。
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