成功例はごくわずか

しかし79年に武力で政権を奪取したニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を除けば、こうした試みは全て失敗に終わった。多くの若者が、キューバ革命に関する誤った理解に基づく誤った闘争で命を落とした。

その指導者たちも同様に命を落とした。ゲリラと共に闘ったカミーロ・トレス神父の遺骨は、死後50年以上を経てコロンビアで発見された。世界中で英雄視されたエルネスト・チェ・ゲバラのものとされる遺骨は、没後30周年の97年にサンタクララ(キューバ)の霊廟に納められた。

だがブラジルやベネズエラ、ペルー、ウルグアイなどで戦ったゲリラたちの敗北は、参加者たちの死をもたらしただけではなかった。ゲリラが存在し、時に体制への脅威となったことは、多くの国で軍部による残忍な弾圧を正当化する口実となった。60~70年代の南米で頻発した軍事クーデターの全てが革命阻止を意図していたわけではない。軍部は革命勢力の排除という名目で無数の学生や労働者の殺害や拉致、拷問を正当化した。

ただし70〜80年代の中米では別な展開が見られた。ニカラグアやエルサルバドル、程度は低いがグアテマラには以前から武装勢力を含む大衆運動が存在し、キューバはそこに武器を供給し、支援した。ニカラグアとエルサルバドルには大量の武器を送り込み、チリ人の顧問団をニカラグアに派遣し、この3カ国とキューバ政府を結ぶ通信網を通じて支援活動の調整も行った。

ニカラグアのサンディニスタはアナスタシオ・ソモサの独裁政権を打倒し、10年ほど政権を維持した。それが可能だったのは、アメリカの支援する反政府ゲリラ「コントラ」に対抗するキューバの治安要員数千人が派遣されていたからだ。

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