
キューバ革命とは何だったのか?
5月にはCIA(米中央情報局)長官のジョン・ラトクリフがハバナに飛び、元国家評議会議長ラウル・カストロの孫で一族のGAESA関連の利権を管理するラウル・ギジェルモ・ロドリゲス・カストロに会ってトランプの要求を伝えた。追い打ちをかけるように、米司法省は1996年の米民間機撃墜事件に関与したとして、ラウル・カストロを殺人罪で起訴している。
もはやキューバ革命の伝説は色あせ、いよいよ最後の日が近づいているようだ。いったい、あの魅力的だが大半は徒労に終わった壮大な物語は何だったのか。この際だから、じっくり検証してみよう。
そもそも、革命当初からカストロはこう考えていた。中南米の各地で革命運動を支援すれば、アメリカも1961年のピッグス湾事件のような無謀な軍事侵攻やマングース作戦のような破壊工作から手を引くだろうし、一方で革命キューバの孤立を解消できるだろうと。
実際、当時のアメリカ政府はメキシコとカナダを除く西半球のほとんどの国に対し、キューバとの貿易や渡航、外交関係の断絶を迫っていた。だからカストロは、メキシコを除く中南米の各国でゲリラ組織を育て、武装闘争を支援した。
中南米における武装革命路線の理論的支柱を提供したのは、若きフランスの知識人レジス・ドブレだ。彼の著書『革命の中の革命』(邦訳・晶文社)にはフィデル・カストロ自身が序文を寄せている。
カストロはベネズエラやコロンビア、グアテマラ、ニカラグア、アルゼンチン、ドミニカ共和国、ペルー、後にはボリビアやブラジルから若き闘士を集め、ハバナ近郊の訓練施設で鍛えた。そこには「革命大臣」のマヌエル・ピニェイロがいて、彼らに武器と思想を与え、それぞれの国の山岳地帯へ送り込んだ。