Jennifer Rigby

[ロンドン 15日 ロイター] - ネズミなどのげっ歯類が媒介する不気味な名前のウイルス。隔離されたクルーズ船。数人の死者、具合を悪くする人々――。

大西洋を航行する豪華客船で発生したアンデス型「ハンタウイルス」の集団感染が、インターネット上で新型コロナウイルス流行当時のトラウマとパニックを再燃させているのも無理はない。

この状況は保健当局にジレンマをもたらしている。新種ではなく、パンデミックを引き起こす可能性も低いが、未解明の部分もあるウイルスについて、人々の恐怖をいたずらにあおることなく迅速かつ明確に伝えるにはどうすべきか、という難題だ。

「ハンタウイルスに関するスレッドを間もなく公開する」。米イリノイ州の保健当局は今週初め、客船MVホンディウス号の集団感染とは無関係でリスクのない、ある症例について投稿した。

「ただし、パニックに駆られてグループチャットに投稿する前に、このスレッドを最後まで読むと約束して欲しい。良いだろうか」

ロイターが取材した保健当局者6人はハンタウイルス関連の情報発信について、新型コロナ当時の失敗に学び、より共感性のある発信を心がけると同時に、不確実な点に対処し、デマの撲滅に努めていると語った。

欧州連合(EU)の欧州疾病予防管理センター(ECDC)で緊急事態対応を率いるジャンフランコ・スピテリ氏は「どのように情報を発信すべきかの議論に時間の半分を費やしている」と明かす。

新型コロナのパンデミック時、多くの政府は対応が遅れるか、あるいは現実を否定し、公的な情報発信は時に混乱を招き、矛盾していた。行動制限やワクチンの普及状況は世界各地で異なり、誤情報や政治利用が横行した。

それが、公的機関に対する不信感をあおる一因となった。

ある調査では、2020年から22年にかけてEU加盟27カ国中20カ国で公衆衛生機関への信頼が低下したことが示された。

<バランスが肝心>

ハンタウイルス対応の最前線に立つ人々は、説明においてバランスをとることの難しさを口にする。これが世界的に重大な保健上の出来事である理由を説明しつつも、公衆へのリスクは低いと安心させ、人間同士で滅多に感染しないこのウイルスの未解明部分については正直に伝える必要がある。

スピテリ氏は「我々が大げさに騒ぎ過ぎだと言う人もいれば、その対極で、対応が不十分だとの声もある。我々は常に、証拠に基づいてメッセージを発している」と語った。

だがSNSを見る限り、保健当局の取り組みはまだ発展途上のようだ。ロックダウン(都市封鎖)やソーシャルディスタンス、マスク生活への逆戻りを不必要に恐れる声が数多くみられる。

米アイカーン医科大学マウントサイナイ校のハンタウイルス専門家で、アルゼンチン出身のグスタボ・パラシオス教授は「我々は全体感を失ったような状態だ」と指摘。集団感染は重大な公衆衛生上の出来事であり、注目と対策が必要だが、必ずしもパンデミックに発展するとは限らないと話す。

ネット上では、ハンタウイルスは新型コロナ以上の人類への脅威だという誤った投稿や、抗寄生虫薬「イベルメクチン」やビタミンD、亜鉛に予防効果があるという科学的根拠のない主張が一部にみられる。ファイザー製ワクチンの副反応だとか、製薬会社が儲けるための自作自演だといった陰謀論も飛び交っている。

英ケンブリッジ大学の心理学教授で誤情報専門家のサンダー・ファン・デル・リンデン氏は、情報の解釈方法について市民にもっと助言する必要があると語る。例えば、集団感染が発生した際に広がりやすい陰謀論をあらかじめ例示するなど、「人々に耐性を付けさせるための事前準備がもっと必要だ」という。

14日の時点で、ホンディウス号で報告された11人のハンタウイルス感染者のうち3人が死亡した。約20カ国に帰った他の乗客数十人は経過観察を受けている。

当局者によると、新型コロナとは異なり、ハンタウイルスの感染拡大を抑える対策はすでに確立されている。アンデス型ハンタウイルスはアルゼンチンやチリの一部で何十年も前から流行しており、船内から採取されたサンプルに、既存の型からの有意な変異は認められない。

昨年9月まで世界保健機関(WHO)の広報責任者だったギャビー・スターン氏は、情報発信に「確実に改善が見られる」と言う。特に、判明した情報をその都度速やかに共有している点が進歩しており、「公衆衛生界は完全にではないにせよ、極めて重要な教訓を身につけたようだ」と話した。

<よみがえるダイヤモンド・プリンセス号の記憶>

WHOは市民を安心させるために迅速に動いた。3日に集団感染が公表されて以降、定期的な記者会見を開催し、警告を発信し、SNSに質疑応答を載せて誤情報に対処した。

WHOのテドロス事務局長は、ホンディウス号が停泊したスペイン領カナリア諸島テネリフェ島の住民に公開書簡を送るという異例の措置まで採った。

「しっかりと理解してもらう必要がある。これは第2の新型コロナではない」とテドロス氏は記している。「ハンタウイルスによる現在の公衆衛生上のリスクは依然として低い。私や同僚らはこれまでも明確に述べてきたし、今、改めて皆さんに伝える」

一方で、対応が遅れた機関もある。米疾病対策センター(CDC)が最初に情報を出したのは、集団感染が報じられてから5日後の5月8日だった。ただ、その後は情報発信のペースを上げている。

「クルーズ船での集団感染」というニュースは、事態を悪化させている。2020年のコロナ禍初期に、日本の沖合に停泊していたダイヤモンド・プリンセス号で発生した悪名高い集団感染を想起させるからだ。この際には14人が死亡し、乗客乗員3000人のうち約4分の1が感染した。

テキサス大学サウスウエスタン医学センターの准教授、クルトゥルカ・クッパッリ氏は「クルーズ船の一件は(中略)新型コロナの始まりにまつわる非常に鮮烈な記憶だ」と語った。

MVホンディウス号の乗客が下船したテネリフェ島に住むラウラ・ミジャンさん(40)にとっても、その光景は既視感があった。WHOのテドロス事務局長がスペイン当局者とともに到着し、対応を指揮する姿を見て、当時の様子を思い出したという。

「ただのインフルエンザではないという印象を受けた。さもなければ、こんなに多くの人々が来るはずがない」と語りつつも、専門家の介入によって適切な対策が講じられると理解しているとも付け加えた。

Reuters Copyright (C) 2026 トムソンロイター・ジャパン(株) 記事の無断転用を禁じます。