<天才的な能力を持つ個性が活躍するためには、周囲の人々がその特異な個性を包摂することが重要になる>
天才的な能力を持つ子どものことを「ギフテッド」と呼んで、その能力を活かすことは、AIが初級の知的労働に置き換わりつつある現在、重要性が増しています。AIと共存しつつ、AIを活用して人類が栄えるためには、天才的な科学者、発明家、芸術家などの人材を継続して育成していかねばならないからです。
こうした状況を受けて、文科省は従来は高校レベルだけだった一種の「飛び級」を小中学生にも適用する検討を始めたようです。自分のクラスを離れて高校や大学で授業を受けられるような特例を認める方向が示されており、2030年度前後に導入される次の学習指導要領に盛り込む案が出ているという報道がありました。
この動きですが、方向としては間違っていないと思います。ですが、できれば更に4つの視点を加えて、より意味のある改革に進めていただきたいと思うのです。教育現場は疲弊が著しく、新しい施策を盛り込むような負荷に耐えられる学校は限られているのは分かります。ですが、教育では僅かな成功例があれば、そこから良い動きが広がっていくこともあり得ます。その意味で以下の4つの視点について、是非、検討していただきたいと思うのです。
1つ目は「飛び級」のカリキュラムです。例えば物理学について新しい学説の立証に取り組むなど特異な才能を持った子どもがいたとして、小中の段階で大学や国立の研究所に出入りできるようにするとします。ですが、そうした子どもがホンモノの科学者として才能を発揮するためには論文執筆力やプレゼン力も必要になってきます。研究資金を調達するためにベーシックな経済学、例えば政府の予算や銀行の仕組みなども知る必要があるでしょう。
社会貢献に繋がる全人格教育が必要
知能が高く、特定分野において早熟な人材に対して、専門外の分野をどう教えていくのか、これは特別なカリキュラムが必要になってきます。もっと言えば、人間的に健全な成長をして、国や自由社会への忠誠を育みながらリーダーシップやメンターとしても社会貢献できるような全人格教育が必要です。この部分をしっかりと教えるメソッドがなければ、せっかくの「ギフテッド」が伸び悩んだり、国外流出したりする可能性が増えてしまいます。
2つ目は、「飛び級」を一部の天才的な子どもだけでなく、もっと拡大するということです。算数や数学が得意な生徒は、小学校高学年から1年とか2年先へ進めるのです。この問題は一部の悪平等思想が学校現場を覆い尽くした結果、まるでタブーのようになっています。
ですが、そのために無認可営利集団の塾産業が跋扈して、家計を追い詰めて少子化の主因となったり、学歴が世襲される中で社会が活力を失ったりしているのです。天才的な「第1グループ」だけでなく、いわゆる一般エリートに属する「第2グループ」も公教育がしっかり包摂するべきです。首都圏を中心に、大学進学を前提としたエリート教育について、小3以上の学年では公教育が責任放棄しているのが現状です。これは大変に異常だということを、改めて認識すべきです。
3点目は、反対に科目によって学習困難が生じている子どもは特別な訓練を受けた教員が丁寧に指導するべきです。いわば「飛び級」の逆であり、つまり到達度に合わせてキメ細かな教育を施すのです。AIが知的労働を奪い、ロボットが肉体労働を奪う時代、このレベルの子どもたちにしっかり教育を施す必要性は切迫しています。