「ボタンの掛け違い」はいつ始まったのか

「ボタンの掛け違い」は24年10月のスー・グレイ首相首席補佐官が就任わずか93日で辞任した時に始まった。適正手続き、官僚的な規律、倫理といった伝統的なルールを順守するグレイ氏を追い出す形でスターマー氏の参謀モーガン・マックスウィニー氏が実権を握る。

選挙戦略家としてスターマー政権を誕生させた立役者マックスウィニー氏は官僚的な手続きよりも政治的なスピード感と成果を優先した。「官僚の中の官僚」と評されるグレイ氏が「ボトルネック」になっていると周囲に印象付けることに成功した。

マックスウィニー氏はマンデルソン容疑者の審査を巡ってもロビンズ氏の前任外務事務次官に「さっさと承認しろ」と暴言を吐いたとされる。マックスウィニー氏はエプスタイン疑惑に関連してマンデルソン大使人事の責任を問われ、今年2月、すでに辞任している。

元参謀の「独裁的運営」が残した負の遺産への不満が噴出

スターマー政権の足元は瓦解している。エド・ミリバンド・エネルギー安全保障・ネットゼロ相は英スカイニュースに対し、マンデルソン容疑者の任命が「破綻する」ことを以前から懸念しており、ラミー氏も同様の不安を抱えていたと打ち明けた。

閣僚もスターマー氏から距離を置き始めている。イヴェット・クーパー内相はドイル氏の一件について「極めて憂慮すべき事態」と問題視している。労働党下院議員からはマックスウィニー氏の「独裁的運営」が残した負の遺産への不満が一気に噴出している。

英紙タイムズはこの事件が英国の公務員制度を深刻な危機に陥れていると警告する。政治的目標のために適性審査を骨抜きにし、不都合が起きれば官僚を「バスの下に投げ込む(犠牲にする)」スターマー氏の手法は英国の統治機構そのものを破壊しかねないと批判している。

【動画】スターマーはマンデルソンの身元調査について知っていたこととは?
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