いつのまにか「現役で東大法学部」を決められた

親との関係をここまで冷静に、そして突き詰めて考えることができるのは、おそらく著者自身の育った環境の影響だ。彼もまた、複雑な環境に育った人だった。

著者の父親は早くに親を亡くし、祖母に育てられたという。ところがこの祖母がおそろしく勝気で、「この子はどの大学にでも入れるのだから、学校だけは続けさせるように」という先生たちの説得をはねつけた。

こうして著者の父親の運命は大きく狂わされた。そして母は、そんな父に全面的に依存しながら生きていた。しかし母は思い込みと執念が異常なほど強く、なにごとも自分の思い通りにしないと気が済まなかったという。

  そういう親たちだったからこそ、子どもたちを東大に入れるなどということを、既定の方針とすることもできたのだろう。そのころには今よりもかなり難関だった東大法学部という私の進路は、いつの間にか決められてしまっていた。また、父は、兄が東大に一浪したことを苦々しく思っており、何度も「慢心していたから落ちたのだ」と口にし、母もそれに同調していた。それはつまり、私にはただ一回の失敗も許されないことを意味した。(53ページより)

著者自身はあまり好きな言葉ではないと言うが、今の時代なら典型的な「毒親」と呼ぶべきだろう。だが、そもそも現役で東大法学部という要請は、親のエゴから生まれたものなのだから、どう考えても無茶な話である。

老人ホームに入れた母親に会いに行かなくなった
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