<ボルカーとの交流のエピソードも交えながら、氏の業績や人柄を振り返ることを通じて、中央銀行の果たすべき役割について白川方明・前日銀総裁が考察する。「アステイオン」97号「ポール・ボルカーの残したもの」より全文転載>

日本銀行に長く勤務して海外のセントラルバンカーとも多く知り合った。その中でも、1979年から1987年まで米国の中央銀行に当たるFRBの議長を務めたポール・ボルカーは忘れられない人物のひとりである。

1971年の金・ドル交換の停止と為替平価の多角的調整、ボルカー・ショックとも呼ばれる在任中に行ったインフレ抑制のための強力な金融引き締め、1980年代後半のラテンアメリカ諸国の累積債務問題、グローバル金融危機後に導入された銀行や証券会社の証券取引に関する「ボルカー・ルール」をはじめ、ボルカーは様々な重要な問題に関わってきた。

そのボルカーが亡くなる1年前の2018年末に出版した本が『ボルカー回顧録』(原題はKeeping At It)である。この本は回顧録にありがちな自己弁護や自己宣伝の匂いは微塵もなく、ボルカーの普段の物言いを聞くような感覚で、彼の人生や仕事に対する哲学が平易な言葉で語られている。

92歳で亡くなり70年近くをパブリックな仕事に取り組んだ彼の業績のすべてをこの小論で論じることは不可能であるが、ボルカーの名前を高からしめたのは、何と言っても彼の行った強力な金融引き締めなので、ここから話を始めたい。

特に、現在は時あたかもインフレ率が世界的に上昇し、ボルカーが闘った40年ほど前の高インフレの時代が再来するのかどうかという問題意識も高まっているので、当時と現在を比較するのはタイムリーかもしれない。

物価の状況をみると、本稿執筆時点(2022年8月)で判明している欧米諸国の消費者物価指数の前年比上昇率は10%に接近している。これは40年振りの高水準、つまり「ボルカーの時代」以来の高インフレである。

多くの中央銀行の当局者やエコノミストは僅か1年半ほど前までは専ら低インフレやデフレを懸念していた。そうした思いが強かったことも手伝って、当初の段階では物価上昇は一時的だとして静観していたが、その後急激な上昇に直面し、昨年末頃から金融政策を慌てて引き締め方向に転換している。

この間、日本でも状況は多少変化している。これまでは日本銀行の供給するおカネの量が著しく増えても物価はほとんど反応しなかったが、現在は海外の物価動向を受けて、上昇率の水準は欧米比ではかなり低いとはいえ、上昇に転じている。

一方、「ボルカーの時代」はどうだったか。彼がFRB議長になる前の1970年代初頭から1980年代にかけては米国経済は最悪の時代を迎えていた。米国のインフレ率がピークに達したのが1980年、当時の消費者物価上昇率は14%にも上っていた。

ボルカーはFRB議長就任の2カ月後の1979年10月に強力な金融引き締め政策を電撃的に開始した。短期金利(フェデラルファンド・レート)は実に20%近くまで上昇し、これによる景気悪化から失業率はピーク時には12%にまで上昇した。

当然、FRBは強い批判に晒されたが、ボルカーは強力な金融引き締めの基本姿勢は変えなかった。その結果、大きな犠牲を払いながらも物価の高騰はやがて徐々に鎮静化し、最終的にはインフレ抑制に成功した。

そして、今日ではボルカーの強力な金融引き締めで実現した物価安定はその後の米国経済復活の重要な基盤を作ったとして高い評価を受けるに至っている。この物価安定の成功は世界各国の中央銀行制度や金融政策の枠組みにも大きな影響を与えた。

現在、世界の多くの中央銀行は独立性を得ているが、これはそれほど昔からのことではない。金融政策の目的を物価安定とし、独立した中央銀行に金融政策の運営を委ねるという考え方が世界的に広がることになったひとつの大きなきっかけは、ボルカーが勇気をもって実行した金融政策によって実現した物価の安定であった。

しかし、話はここで終わらない。ひとつの大きな変化は次の変化をもたらし、気が付いてみると、「どこか違う」という状況が現出することがよくある。金融政策の世界でも同じことが起きた。

現在、世界の多くの国でインフレーション・ターゲティングが採用されているが、この枠組みは1980年代後半以降広がっていった上述の物価安定重視の政策思想から生まれた。最初の頃は高インフレに悩んだ国がこの枠組みの採用により物価安定を実現するなど、当初の懐疑論を跳ね返して予想以上の成功を収めた。

言うまでもなく、独立性を有した中央銀行は自らの金融政策運営についてきちんと説明しなければならないが、目標物価上昇率と現実の物価上昇率に基づいて金融政策の運営方針を説明するという方法が独立性に求められるアカウンタビリティーの要請に応えるものであるとして支持を集めたのは頷ける動きであった。

ただ、この成功と共に新たな問題も静かに生まれていった。問題とは、成功体験に影響されて、経済に何か問題が起こる度に中央銀行に解決を求める傾向が強くなっていったことである。

実際に、中央銀行のプレゼンスは著しく拡大した。経済学界でも、「万能の中央銀行」とでも言うべき経済観を組み込んだ経済理論が有力になっていった。「期待に働きかける」という、よく耳にする言葉は正にそうした中央銀行観を反映している。要するに、「中央銀行の時代」とも言うべき時代が到来したのである。