桃源郷・新吉原の流行を伝えた美人画

急速に都市整備が行われた江戸において、公許の遊郭である吉原が誕生したのは、1617(元和3)年のことである。江戸の中心部である日本橋富沢町(現在の日本橋人形町)に置かれたが、1657(明暦3)年の明暦の大火によって焼失してしまう。時の幕府としても、江戸の中心部に遊廓があることを不適当と考え、吉原を浅草へと移動させた。これにより、日本橋時代を「元吉原」、浅草移転以降を「新吉原」という。

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「青楼二階之図(せいろうにかいのず) 歌川国貞画 1813(文化10)年 国立国会図書館蔵

日本全国には、京都の島原遊廓をはじめ、吉原以外にも公許の遊郭があった。それ以外にも非合法で安価な私娼が営業する岡場所も江戸の各地に存在したが、そうした遊び場のなかでも吉原は畑のなかにつくられた人工の町であり、巧みにその閉ざされた世界を演出した劇的な空間であった。

碁盤の目のような吉原の目抜き通りである仲之町通りには植え込みが設けられ、3月3日の節句には、そのためだけに桜の木が運び込まれ、花見の名所に変わる。

また、旧暦8月1日から、30日間にわたって行われる「俄(にわか)」では、山車(だし)が現れる。2階立ての山車には、吉原芸者たちが乗り込み、演奏や踊りを担う。吉原の一大パレードである。

こうした非日常の空間を目当てに、多くの文化人が集まり、そのなかから新しい文化・流行が誕生していった。遊女が着る着物や髪型、装飾品などは浮世絵(美人画)のなかで表現され、吉原の内外で流通し話題を呼んだ。しかし、他方で吉原の華やかな世界の裏で、そこで働く遊女たちの過酷な生活があったことも事実である。

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Pen BOOKS 蔦屋重三郎とその時代。

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