たとえば、コロナ禍においては反ワクチン、反ロックダウンを主張していた人々は、ロシアのウクライナ侵攻の際に親ロシア、反ウクライナの主張を始めた。極右や白人至上主義にもつながるものだが、その支持層ははるかに多いと推測される。

民主主義国の多くで反主流派の活動が活性化しており、政治や社会に大きな影響を与えている。日本も例外ではないことは近年の選挙を見ればわかる(日本の場合は独自の要素も多いが)。

一貫した主張やイデオロギーはないものの、こうした勢力の台頭は目や耳に入ってくる言葉を変容させ、認識される現実を変えていく。

【現実と科学の変容】

現実が多様であるというと不思議に思われる方もいるかもしれない。たとえば、日本と中国あるいは韓国では一部の歴史的事実についての認識が異なっている。同様のことは世界中にある。異なる国あるいは地域間において事実、現実が異なっているのはそれほど珍しいわけではない。

これまで民主主義を標榜する多くの国は価値観や科学を揃えてきた。中国、ロシアといった非民主主義国の統治形態や価値観の多様さに比べると、民主主義国の価値観は多様性に乏しい(ある意味当然だが)。世界規模で進んでいる非民主主義国へのシフトは、同時に現実と科学の多様性の拡大でもある。

アメリカで起きている言葉狩りはその象徴とも言える。DEIは尊ぶべき価値観ではなくなり、過去の歴史は改ざんされていく。DEIは生まれた時から、目や耳にしたことのない概念になる。

奴隷制度が存在したことも学ぶ機会がなくなれば知らないアメリカ人が増えるだろう。科学も同様に変化している。科学は人類共通と考えている人は多そうだが、社会や文化の影響を受ける以上、多様であってもおかしくない。

科学論文で検証に使われたのと同じ実験を行っても同じ結果にならない、という「再現性の危機」と呼ばれる問題は多くの科学の分野におよんでおり、再現率が50%を切る分野は少なくない。こうした低い再現率であれば、いくらでも異なる仮説の検証ができそうだ。

また、多くの科学では統計的手法を用いるが、異なる因果ダイアグラム(因果関係の仮説)に基づいて同じデータを分析した場合、異なる結果になる可能性が高い。因果ダイアグラムが多様に想定できる以上、その結果も多様になる可能性が高い。

筆者が以前から言っていた「多様な事実と多様な科学」の時代が到来する。

文化の狭間のグローバル経済
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