氏と初めて会った場所は保守系の集会だったと思われる。当時神谷氏は2007年に大阪府吹田市の市議会議員に初当選した後、2012年に衆議院議員に転身を図り自民党から公認されるも、維新の候補に敗れて落選した。大阪在住の彼が東京の保守系集会にわざわざ出てきたのは、落選後の身の振り方に何か思うところがあったからかもしれない。
神谷氏から差し出された名刺のことを今でも覚えている。氏は2010年に「龍馬プロジェクト」という保守系地方議員主体の任意団体を主催していて、その旨が印刷されていた。当然坂本龍馬的な何か、の熱意があるものと思われたが、名刺をふと見ると「ONE PIECEのような政治をしよう」と大きく書かれてあった。
ONE PIECEとは少年ジャンプに連載されている例の世界的な漫画だ。そして主人公たちは"海賊"である。「政治家を名乗る人間が、反社会的勢力のような活動をしようとは、どういうことでしょうか。官憲と戦うんですか。神谷さんはブントとか革協同かなんかなんですか」と聞こうとしたがやめた。流石に気の毒だと思った。
ただし熱意だけはあって、喋りの達者な好青年に思えた。親の経営するスーパーを継いで、苦労なさったと語っていた。関西大学を卒業されていたので、同じ関西圏の私大を卒業した私はなんとなしに親近感を持った。私よりも5歳上だった。『JAPANIZM』編集長として、何回かインタビューを取った。具体的にどのような誌面だったか忘れたが、国会図書館で確認すれば、当時私が自ら書いたインタビュー記事が見つかるはずである。これがきっかけで、神谷氏は青林堂と接点を持つようになった。
神谷氏は私が青林堂を離れた後、『大和魂に火をつけよう 日本のスイッチを入れる2』(2014年)、『子供たちに伝えたい「本当の日本」』(2019年)、『国民の眠りを覚ます「参政党」』(2022年、吉野敏明氏との共著)、『参政党Q&Aブック基礎編』(2022年)など、立て続けに著作を発表した。そもそも、参政党の松田氏や赤尾氏、吉野氏など主要な「看板」の人々はほぼすべてが青林堂から著書を出している。詳しいことは知らないが、青林堂執行部の方針と神谷氏や参政党の政治観がマッチしたのだろう。明らかに参政党の出版方面での協力者は青林堂である(悪いことだとは言っていない)。
ただし神谷氏自身が、保守思想についての知識をあまり持ち得ているとは思えず、すなわちバークや江藤淳、半藤一利、保阪正康、西部邁も読んでいないようだし、どちらかというと具体的な政策や主義ではなく「漠然とした大きな熱意」のみ先行で、知識の積み重ねや体系的な主張を感じられなかったことから、いわゆる保守論壇の大御所雑誌(当時のWiLL、正論、VOICE等)に声がかかることはあまりなかった。
言論人という感じではなく、大阪の活動家といった評価だった。私が出演していた某保守系CS放送局も紹介したが、単独出演が1,2回というだけで、レギュラーとして定着しなかった。首都圏の保守界隈は、落選直後に上京してきた保守系元議員に冷淡だ。次の選挙のために利用されるだけなのではないか、という警戒の嗅覚が働くからだ。それでもある程度の見識があれば門戸は開かれるが、神谷氏はそうではなかった。だから氏は保守界隈の中に居るには居たものの、常に周縁の存在であり続けた。
神谷氏は2013年になるとCGSというネットチャンネルを作って、その中で動画の投稿を始めた。神谷氏に好意的な中堅の保守系言論人が何個か番組を持って、それなりに人気になった。ちなみにCGSとは、「Channel Grand Strategy」の略で、直訳すると「大戦略」という風になるのだろうが、同じタイトルの戦略ゲームとどのような相関があるのか聞いたことは無い。
2013年中盤から14年にかけて私は神谷氏と一緒に講演会に呼ばれたりするようになってそれなりに接近していたので、2014年3月からこのCGSの中で番組を持たないかと提案されて、特に断る理由もないので承諾した。番組は30回ほど続いたが、この時すでに私自身の立ち位置が偏狭な保守界隈から距離を置くものに変わっている時期だったので継続に疑義が出るようになった。
加えて当時人気だった政治系ユーチューバーのAと、神谷氏と私の三人で鼎談番組をやらないかと誘われて、私が「Aの知識水準では、鼎談するに値しない」と結論して拒否したために、これが勘気に触れたのだろうか、以後神谷氏とは急に疎遠になった。対立があったわけでも、喧嘩したわけではない。ただ疎遠になっただけだ。因みにこのAは、後に参政党の創立メンバーとしてかかわったのち、方向性の違いから同党を脱退している。
少なくとも私が神谷氏と接点があった2013年・14年の時期、氏はオーガニック信仰みたいなことを全然口にしていなかった。食品添加物拒否なんて一言も言っていなかったし、農業がどうの、有機農法がどうのなどというのも皆無だった。この時、彼の中にオーガニック信仰は存在せず、手垢のついた即席ネット保守のようなことを猛烈に主張していた。