日本に巣食う「嫌韓」の正体

2019年10月10日(木)17時30分
石戸 諭(ノンフィクションライター)

<嫌韓報道が日常化する土壌には、ネットにあふれるコメントの存在がある。「韓国嫌い」を醸成するメディアの責任とは。本誌「嫌韓の心理学」より>

2019年9月2日、東京・神保町──。小学館本社ビル9階にある週刊ポスト編集部に電話が殺到した。発売されたばかりの特集「韓国なんて要らない」(9月13日号、下写真)がSNSで大炎上したからだ。同誌に連載を持つ作家の葉真中顕は自身のツイッターで「ポスト見本誌見て唖然とした。持ち回りとはいえ連載持ってるのが恥ずかしい」(原文ママ)と批判した。

編集部の対応は早かった。すぐに謝罪を発表し、報道各社の取材にも同様のコメントで応じている。全国のTSUTAYAとTポイント提携書店のPOSデータ分析サービス「DB WATCH」を見ると、週刊ポストの当該号は前週の号と比べて部数は倍近くと確かに売れてはいるが、その後は過激な言葉を使った特集路線は継続することなく、葉真中による批判記事も掲載した。

ジャーナリストの江川紹子はポストの対応を「『迅速』さから伝わってくるのは、悲しいほどの『軽さ』」と表現した。嫌韓の「軽さ」はポストに限った現象ではない。

TBS系列のワイドショー『ゴゴスマ』における武田邦彦・中部大学特任教授の「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」発言が典型だが、おそらく彼には韓国人差別をあおってやろうという強い主張はない。

今年8月に韓国が日本との秘密情報保護協定(GSOMIA)の破棄を決めて以降、集中的に韓国問題を取り上げているワイドショーの制作陣にも「真剣に日韓関係の未来を考えていきたい」といった崇高な理念はない。

メディア上の韓国問題の取り上げ方、たたき方は信念によるものというよりももっと「気軽」なのだ。軽い気持ちで発した言葉がSNSで炎上し、集中豪雨のような抗議が殺到、対応に迫られる──。

最近の韓国をめぐる問題で繰り返されるおなじみの構図だ。主語と問題発言だけが入れ替わり、メディア上に炎上の火種が投下され続けている。問題は「軽い」からよいのではなく、むしろ「軽さ」にこそ本質的な問題がある。「韓国」に対してなら軽い気持ちで憤りをぶつけても許される、と彼らが思ってしまう空気はどこで醸成されるのか。その発信源の1つはインターネットにある。ニュースを読む場として、強い影響力を持っているヤフーニュースのコメント欄を読めば一目瞭然だ。

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