モンゴル人を大量「虐殺」 記憶遺産に値する中国の罪

2017年6月20日(火)10時15分
楊海英(本誌コラムニスト)

<文化大革命で「中国の敵」として殺された親日派の遊牧民。旧宗主国・日本に刺さる「満蒙を忘れないで」の叫び>

昨年11月、南モンゴル(中国内モンゴル自治区)の民主運動家約150人が東京に集まり、連帯組織「クリルタイ」を結成して半年以上が過ぎた。

あえて東京で結成したのは、大日本帝国がかつてモンゴル人の故郷に満州国と蒙疆政権を樹立したから。フランスが旧宗主国としてアフリカ各国の政治に関わるように、日本の関与をモンゴル人たちも求めている。

今月初め、クリルタイは再び東京に集結。永田町の参議院議員会館で会見を行った。なかでも注目は、66~76年の中国の文化大革命期に内モンゴルで起きた大量虐殺・拷問に関する記録についてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産登録を目指すと発表したことだ。既に研究者によって公開された膨大な第1次史料の収集をさらに進め、英語に翻訳。来年6月までに申請するという。

史料によると、文革時の内モンゴルには150万人近くのモンゴル人が暮らしていたが、そのうち34万人が逮捕され、2万7900人が拷問を受けて殺害され、12万人に身体障害が残ったという。障害を負わされてからしばらくした後に亡くなった「遅れた死」を含めると、死者数は10万人以上との報告もある。

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中国政府公認の研究もこうした事実を否定できず、中国は「文革期には漢民族も被害を受けた」と強弁するしかない。だが今回、亡命先のドイツから来日したショブチョード・テムチルト代表は「内モンゴルでは、モンゴル人だからとの理由だけで虐殺が行われた」と証言。彼の祖父も満州国時代に日本人と親しかったというだけで戦後、中国当局から迫害されたという。

北京から派遣された人民解放軍の将校は、「旧満州国には中国の敵が多く、モンゴル人だけで70万人もいる」と兵士を動員し、漢民族の労働者と農民を扇動して殺戮へと駆り立てた。

日露戦争直後から満州国時代を経て、45年に第二次大戦が終わるまで、約40年にわたって日本統治を経験した内モンゴルでは、日本語を操る知識人が大勢いた。日本は植民地経営で教育への投資に力を入れていたからだ。このような親日派モンゴル人が文革期に「日本のスパイ」「対日協力者」としてギロチン台に追いやられた。「日本は過去の満蒙(満州と南モンゴル)を忘れないで」とモンゴル人は東京で声を上げた。

中国は「日本の侵略者を満蒙から追い出し、モンゴル人を解放した」と嘘をつく。実際は45年8月、ソ連とモンゴル人民共和国(北モンゴル)の連合軍が満蒙で日本軍と激戦し、同胞を解放した。日本人が去った後、南モンゴルの住民はモンゴル人民共和国との統一国家を望んだ。

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