モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた【名画の謎を解く】

2019年3月16日(土)10時35分
原島広至

注目すべきは、この像に描かれた女性の胸である。左の乳房の外側にくぼみと脇の下に腫れがみられる。これは、乳がんによる陥凹(かんおう)病変と腋窩(えきか)リンパ節腫脹である可能性があると指摘されている。

画像:Shutterstock.com

乳がんは、唯一自分で発見することが可能ながん。乳房を自己触診して、しこりの有無を確認することが勧められているが、しこりだけでなく、時としてえくぼ兆候(乳房にえくぼのようなくぼみができること)という形でも現れる。

初期の乳がんでは体調が悪くなるなどの症状が特にないために、このようなしこりやくぼみは、初期段階での発見にとってとても重要である。

ところで、このバテシバの絵のモデルは誰だろうか? それは、レンブラントとサスキアの間に生まれた息子ティトゥスの乳母で、サスキアの死後内縁の妻となったヘンドリッキエ・ストッフェルスと考えられている。では、ヘンドリッキエはその後どうなったのだろうか?

なぜ乳がんではしばしば脇の下が腫れるのか

ヘンドリッキエはこの絵が描かれてからおよそ9年後に病死する。しかし、9年間も生きていたので乳がんではなく別の病気ではないかとも考えられている。

ヘンドリッキエを描いたと推定されている肖像画は、確定的ではないにせよ幾つも残されているが、『バテシバ』以外に、胸の状態がわかる裸婦画は見当たらない。レンブラントは他人に売る裸婦画のモデルとしてヘンドリッキエを用いたくなかったのだ、もしくはヘンドリッキエがヌードモデルをした時には顔が特定できないようにしたのだ、と推測する研究者もいる。

元々、レンブラントはモデルが誰であれ、女性の顔を自分の理想とする容貌に近づけてしまう傾向があった。それで、意図せずに絵のモデルを特定しづらくしていたのかもしれない。これらの理由ゆえに、ヘンドリッキエの胸の病変の経過を、レンブラントの絵から推測するのは困難である。

この絵を制作していた時期、レンブラントは教会からヘンドリッキエとの同棲を咎められ、さらに彼女の妊娠と経済的な破産とが重なり、苦難のただ中にあった。そして、病名は明確でないにせよ何らかの病気がヘンドリッキエをじわじわと蝕んだことも、レンブラントの苦悩を深めていたに違いない。そんな中でも、ヘンドリッキエは、最期まで苦境にあるレンブラントを献身的に支えつづけた。

作画:原島広至

ところで、乳がんや他の病気の際に、なぜ脇の下がしばしば腫れるのだろうか? 脇の下にある腋窩リンパ節は、乳がんの病巣から離れ落ちたがん細胞が他へ転移しないようにせき止めており、その際腋窩リンパ節自体に腫れが生じるからである。しかし、せき止めきれないときにがん細胞は他に転移してしまう。

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