なぜ円安になっても製造業が日本に帰ってこないのか

2014年9月24日(水)20時00分
池田信夫

 外国為替市場で、一時は1ドル=109円台に乗せ、リーマンショック前の水準まで円安が進んだが、日経平均株価はあまり反応しない。1万6000円台には乗せたが、その後は一進一退だ。これについて日銀の黒田総裁は「何か大きな問題があるようには思っていない」とコメントし、当面は見守る考えを示した。

 しかし国際協力銀行の渡辺博史総裁は「これ以上円安になること自体がどちらかというとマイナスになる産業が増えてきている感じがする」と述べ、岩田一政日本経済研究センター理事長(元日銀副総裁)はブルームバーグのインタビューで「これ以上の円安は自国窮乏化になる」と指摘した。

 普通は、為替レートの切り下げは「近隣窮乏化政策」と呼ばれる。輸出品の外貨建て価格を下げて、輸出は増えるが、他国の輸出は減るからだ。しかしこれは古典的な貿易だけを考えた場合である。現代のグローバル企業は生産拠点を全世界に置いているので、本社のある国の通貨が安くなっても輸出が増えるとは限らない。

 こういう例を考えよう:あるグローバル企業が、台湾に100%子会社を置いてアジア全体に輸出しているとする。そのうち20%の中核部品は日本から輸出するが、付加価値額の80%は台湾で生まれるとする。ここで1(台湾)ドル=80円から110円になると、何が起こるだろうか。

 ドル建てでみると、コストの20%を占める日本からの輸入価格が37%下がるが、それによって輸入が増える効果はほとんどない。付加価値のほとんどはドル建てだから、製品価格が下がった分だけ売り上げが増えるが、それによる台湾の輸入増はわずかなものだ。

 起こりうる効果は、生産拠点を台湾から日本に移すことだが、それもほとんど起こっていない。日本の交易条件が悪化したからだ。これは当コラムでも説明したように輸出物価/輸入物価の比率で、日本の立地条件を示す指標だ。円安で輸出物価が下がり、原油などの輸入物価が上がると、日本の交易条件が悪化する。

 黒田総裁は、大きく円安になると生産拠点が日本に戻ってくると期待しているようだが、残念ながらそう考えているメーカーはほとんどない。会計上は台湾の現地法人と日本の本社は連結決算になるので、法人税率13%の台湾から40%の日本に戻す理由がない。おまけにエネルギー価格が上がって電気代が50%以上も上がるので、「空洞化」は元に戻らないのだ。

 日本企業の考え方は、黒田総裁が大蔵省の財務官だった90年代から大きく変わった。ある大手電機メーカーの元役員は「昔は本体の調子が悪くなったら海外の子会社から利益を付け替えて黒字を出したが、今はグローバルに連結決算するので、そういう無駄なことはしない。税金の安い国で利益を出す」と話す。

 グローバル資本主義は、このように国境のない企業と国境の中で税金を取る政府の闘いである。昔の日本企業では、利益を付け替えて決算を「お化粧」するのが当たり前だったが、今は税引き後の利益を最大化するように海外拠点を配置する。法人税率や電気代の高い日本に生産拠点を置くのは、トヨタのように義理人情に篤い会社だけだ。

 ピケティは『21世紀の資本論』で、すべての国の対外資産を合計すると対外債務より1割ぐらい少ないと指摘している。つまり世界全体で対外純資産がマイナスなのだ。このように帳尻があわない最大の原因は、タックス・ヘイブン(租税回避地)である。対外純資産を計上しているのは、日本とドイツだけだ。

 資本家にとって重要なのは、世界のどこで生産するかではなく、手取りの利益がいくらになるかだ。そのためには生産コストと税金の安い国で生産するのが当然で、税率ゼロのタックス・ヘイブンが理想だ(各国の税務当局が許さないが)。交易条件の悪化する日本に生産拠点を戻す理由がない。これが円安になっても、製造業が日本に戻ってこない理由である。

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