アステイオン

経済学

FRB元議長ポール・ボルカーと「中央銀行の時代」

2023年01月11日(水)08時07分
白川方明(青山学院大学特別招聘教授、前日本銀行総裁)

既に述べてきたように、ボルカーは自身の業績も影響しているその後の「中央銀行の時代」の到来には違和感を持っていた。1979年に米国が直面していた課題は、インフレであった。

日本を含め世界が懸念すべき問題は必ずしもインフレとは限らない。日本に即して言うと、財政危機かもしれないし、現在進行している緩やかな生産性上昇率の低下という静かな危機かもしれない。

いずれにせよ、現状を放置すると将来さらに大きな問題が生じるが、現状を変えると直ちに大きな混乱が生じるという状況に至る前に、改善の手を打たなければならない。要するに、持続可能性の問題である。

近年の金融危機の頻発や最近のインフレを見ると、40年とか50年というような長さのサイクルを描きながら、時代は新たな政策哲学やそれを支える理論の登場を待っているように私には思える。

ボルカーが晩年最も力を入れた活動のひとつは公共政策に関する研究の支援と人材の養成であったことは示唆的である。

実際、自叙伝の記述は、「ミッション・インポッシブルな使命」との自己認識を表明しながらも、公共政策の基盤作りのために彼が創設した「ボルカー・アライアンス」という財団への思いを述べることで終わっている。

最後にもう一度、ボルカーの人物像に戻る。ボルカーは最後まで、中央銀行を愛していた。私が総裁時代、日本で様々な批判に晒されている時、G30の会合の休憩時間に「日本銀行の手助けをしたいが、自分にどのようなことが出来るかを遠慮なく言って欲しい」という温かい申し出を受けたこともあった。

最後に会ったのは2018年12月にニューヨークでG30が開かれた時である。ボルカーは本会合には欠席したが、夕方のパーティーだけは病をおして参加した。

参加者は狭い会場で全員列を作って並び、車椅子のボルカーに順番に挨拶した。誰もがボルカーの残り少ない余命を意識しながら、限りない尊敬と愛惜の気持ちで別れの挨拶をした。私もニューヨーク駐在時代に受けた日本銀行法改正へのアドバイスにも触れながら、感謝の気持ちを述べた。

ボルカーが亡くなった知らせを受けたのはその1年後のことであった。彼の人生は自叙伝のタイトルであるKeep at it(根気よくやる)そのものであった。ボルカーが残したパブリックな利益に奉仕するというマインドの重要性は、私だけでなくボルカーに接した多くの人、さらに少しでもボルカーの行った仕事に触れたことのある多くの人の心に残っていると思う。


白川方明(Masaaki Shirakawa)
1949年生まれ。東京大学経済学部卒業、シカゴ大学大学院にて修士号(経済学)取得。日本銀行審議役、日本銀行理事、京都大学大学院公共政策教育部教授、東京大学金融教育研究センター客員研究員などを歴任。2008年、第30代日本銀行総裁に就任。専門は中央銀行論。著書に『バブルと金融政策──日本の経験と教訓』(共著、日本経済新聞社)、『現代の金融政策──理論と実際』(日本経済新聞社)、『中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)、"Tumultuous Times:Central Banking in an Era of Crisis"(Yale University Press)など。


asteion97-150.png

 「アステイオン」97号
 特集「ウクライナ戦争──世界の視点から」
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP