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経済学

FRB元議長ポール・ボルカーと「中央銀行の時代」

2023年01月11日(水)08時07分
白川方明(青山学院大学特別招聘教授、前日本銀行総裁)

一方、「ボルカーの時代」はどうだったか。彼がFRB議長になる前の1970年代初頭から1980年代にかけては米国経済は最悪の時代を迎えていた。米国のインフレ率がピークに達したのが1980年、当時の消費者物価上昇率は14%にも上っていた。

ボルカーはFRB議長就任の2カ月後の1979年10月に強力な金融引き締め政策を電撃的に開始した。短期金利(フェデラルファンド・レート)は実に20%近くまで上昇し、これによる景気悪化から失業率はピーク時には12%にまで上昇した。

当然、FRBは強い批判に晒されたが、ボルカーは強力な金融引き締めの基本姿勢は変えなかった。その結果、大きな犠牲を払いながらも物価の高騰はやがて徐々に鎮静化し、最終的にはインフレ抑制に成功した。

そして、今日ではボルカーの強力な金融引き締めで実現した物価安定はその後の米国経済復活の重要な基盤を作ったとして高い評価を受けるに至っている。この物価安定の成功は世界各国の中央銀行制度や金融政策の枠組みにも大きな影響を与えた。

現在、世界の多くの中央銀行は独立性を得ているが、これはそれほど昔からのことではない。金融政策の目的を物価安定とし、独立した中央銀行に金融政策の運営を委ねるという考え方が世界的に広がることになったひとつの大きなきっかけは、ボルカーが勇気をもって実行した金融政策によって実現した物価の安定であった。

しかし、話はここで終わらない。ひとつの大きな変化は次の変化をもたらし、気が付いてみると、「どこか違う」という状況が現出することがよくある。金融政策の世界でも同じことが起きた。

現在、世界の多くの国でインフレーション・ターゲティングが採用されているが、この枠組みは1980年代後半以降広がっていった上述の物価安定重視の政策思想から生まれた。最初の頃は高インフレに悩んだ国がこの枠組みの採用により物価安定を実現するなど、当初の懐疑論を跳ね返して予想以上の成功を収めた。

言うまでもなく、独立性を有した中央銀行は自らの金融政策運営についてきちんと説明しなければならないが、目標物価上昇率と現実の物価上昇率に基づいて金融政策の運営方針を説明するという方法が独立性に求められるアカウンタビリティーの要請に応えるものであるとして支持を集めたのは頷ける動きであった。

ただ、この成功と共に新たな問題も静かに生まれていった。問題とは、成功体験に影響されて、経済に何か問題が起こる度に中央銀行に解決を求める傾向が強くなっていったことである。

実際に、中央銀行のプレゼンスは著しく拡大した。経済学界でも、「万能の中央銀行」とでも言うべき経済観を組み込んだ経済理論が有力になっていった。「期待に働きかける」という、よく耳にする言葉は正にそうした中央銀行観を反映している。要するに、「中央銀行の時代」とも言うべき時代が到来したのである。

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