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経済学

FRB元議長ポール・ボルカーと「中央銀行の時代」

2023年01月11日(水)08時07分
白川方明(青山学院大学特別招聘教授、前日本銀行総裁)

ボルカー自身はかなり早い時点から「中央銀行の時代」が到来することを予測し警告を発している。それを端的に表しているのが、1990年にペール・ヤコブソン記念講演で行った「中央銀行の勝利(triumph)か?」と題する講演である。

注目すべきは、タイトルに付けられた疑問符である。1990年という年は、つい最近まで先進国を悩ませた高インフレはかなり収まり、中央銀行への期待が既に少しずつ高まり始めていた時期である。

彼はこの講演で中央銀行にあらゆることを期待する(monetary authority be all thing to all men)傾向に警告を発している。この講演では、例えば、特定の目標物価上昇率を設定することが見せかけの正確さ(False precision)を生み出すことによって却って中央銀行の信頼性を傷付ける可能性など、今日から見て実に先見性に富んだ警句を発している。

彼自身は「中央銀行の勝利か?」という自らの発した問いに対し、イエスともノーとも明確には言っていないが、私には限りなくノーと言っているように聞こえる。

実はこの講演には興味深い伏線がある。前述のヤコブソン記念講演にボルカーが登場する11年前の1979年9月、正に米国が高インフレに苦しんでいる時に、元FRB議長のアーサー・バーンズが同じヤコブソン記念講演で、これまた有名な講演を行っている。

バーンズはボルカーがFRB議長に就任する1年半ほど前まで金融政策の舵取りを行っていたが、ニクソン大統領の圧力に屈して高インフレを許容したFRB議長として一般的には歴史家の評価は厳しい人物である。

彼の講演のタイトルは「中央銀行の苦悩(anguish)」というものである。彼は金融を引き締めようと思っても、政治家だけでなく企業経営者も労働組合も反対して引き締めが出来なかったことを講演で嘆いている。タイトルにはそうしたインフレ心理が深くビルトインされた社会における中央銀行の苦悩が表されている。

興味深いことに彼は講演の最後の部分で、このような状況になってしまった以上、「かなりドラスティックな療法(fairy drastic therapy)」が必要だと信じるようになったと述べている。

彼自身はこの時、ボルカーが正にそうした療法を準備しつつあったことは知らなかったと思うが、この講演の僅か数週間後に、ボルカーは強力な金融引き締めを開始している。ボルカーは嘆くのではなく、行動した訳である。ボルカーの勇気は実に賞賛に値する。

ただし、ボルカーは「中央銀行の独立性」を強調したが、彼は決して中央銀行万能論者ではなかった。むしろ、1990年の講演では中央銀行万能論を強く戒めている。

中央銀行が正しい政策を実行するためには、何よりも中央銀行の果たし得る役割と果たし得ない役割について社会の幅広い理解が必要であることを強調している。とは言っても、社会の全員がこれを理解することは期待し難い。現実的に言えば、「ある程度の」理解が必要ということなのだと思う。

そう考えると、カーター政権が強力な金融引き締めを支持しているのは特筆に値する。私には、ボルカーだけを賞賛するのも、バーンズだけを批判するのもバランスを欠いているように思える。

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