作者:池坊専好 提供:華道家元池坊
いけばなを通じて「いのち」と向き合うこと、そして日本文化を継承することについて、華道家元池坊の次期家元である池坊専好氏にアステイオン編集委員の佐伯順子・同志社大学教授が聞く。
佐伯 専好先生は日本国際博覧会協会の副会長として、大阪・関西万博に深く関わってこられました。本日の対談では、その万博をめぐるご経験もふまえて、海外の方々を惹きつけるいけばなの魅力や特徴、そこから見えてきた日本文化の国際的発信の可能性や将来的課題などについてお聞かせいただければと思います。
池坊 2025年の大阪・関西万博では「いのち輝く未来社会のデザイン」がテーマに掲げられました。万博の歴史を振り返っても、これほど「いのち」というものが前面に取り上げられたのは初めてではないかと思います。
いけばなというのは、数ある文化芸術の中でも珍しく、「生きているもの」、つまり命そのものを対象にしています。人が命と真正面から向き合って対峙する、唯一無二の文化芸術と言えるかもしれません。そう考えると、万博の理念と、いけばなの根底にある考え方には、大きな共通項があるのではないかと思っています。
佐伯 「いのち」を大切にするという意味で、万博といけばなの哲学に共通性があるというお話は、万博のテーマのとおり、持続可能な地球を考えるうえで大変重要ですね。実際にお花を生ける過程では、特にどのようなときに「いのち」というものを意識なさいますでしょうか。

池坊 池坊のいけばなには「自然にあるがままを生ける」という考えがあります。美を追求する姿勢の根底に、常に自然な姿への敬意があるのです。
西洋のフラワーアレンジメントとの違いは、若さだけを美とせず、厳しい自然のなかで最後まで生き抜こうとする生命力、そして老いた姿にさえ美を見いだす点です。いわば命や自然そのものに美を認めるという哲学がいけばなの根底にあります。
佐伯 「花の命は短くて」という林芙美子のよく知られた言葉もありますけれど、きれいに咲いたら枯れていくという過程に、人間も含めた命の尊さや儚さ、無常といったものが象徴されているのですね。
池坊 いけばなは必ず「花を切る」という作業を伴います。若い頃は自分が「こう生けたい」「こう表現したい」という思いのほうが強かったため、あまり深く考えてはいなかったことがあります。それは切ることの残酷さ、命を絶つという感覚です。
最近は、その「切る」ということが大きな取捨選択だと感じるようになりました。切ることで花の命を絶つわけですが、同時にその花は、自然とは違うかたちで「生かされなければならない」ということも実感します。
佐伯 海外のフラワーアレンジメントと日本のいけばなは、背景にある思想や宗教性も含めて、歴史的な違いが大きいのですね。
池坊 海外では、美しい花そのものを愛でる文化があります。けれども日本のいけばなでは、雨露風雪に耐えた草木、虫食い葉や枯れゆく葉、つぼみなども用います。
そこには「命はどんな姿であっても美しい」という考え方があるのです。ですから、美の捉え方そのものがまったく異なります。また、フラワーアレンジメントは「完成した状態」が一番良いとされますが、いけばなは必ずしもそうではありません。
佐伯 完成した形を最良とせず、移ろいの過程にこそ美を見いだすのは、日本的な美意識でもありますね。吉田兼好の「花は盛りに月は隈(くま)なきをのみ見るものかは」という、満開の花や満月のみが鑑賞に値するものではない、という言葉も思い出されます。
