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対談

「生け花」と「フラワーアレンジメント」は何が違うのか?...華道家・池坊専好が語る「いのちを生ける」思想

2026年03月11日(水)11時00分
池坊専好 + 佐伯順子(構成:山本みずき)

池坊 もう1ついけばなの独自性を申し上げますと、日本のいけばなは単に作品としての美しさを追求するだけでなく、稽古そのものが「修行」であり、「道」の精神を体現しているという点です。

私たちは、いくつになっても修行を続け、稽古を重ねます。人生にはいろいろな局面があり、花に集中できるときもあれば、介護や病気などで思うように取り組めない時期もあります。それでも生涯を通じていけばなと関わり、そのときにできるかたちで稽古を続けていくのです。

稽古とは単に花を生けることが目的ではなく、自分自身を鍛え直す時間であり、自己陶冶の営みでもあります。つまり、花と向き合うことで自分を練り上げ、磨き直していく。

その繰り返しが、自分自身を取り戻す時間となります。そうした「道」という概念がいけばなには備わっている。それは厳しくもありますが、大きなやりがいであり、未完成だからこそ生涯続けていける魅力でもあると思います。

共鳴する日本の伝統文化

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佐伯 修行としての「道」という考え方は、茶道や武道など、日本の他のお稽古事にも通じますね。いけばなの世界観と、それ以外のお香やお能なども含めた日本の芸道全般、日本文化全般にわたる共通点についてはどうお考えでしょうか。

池坊 能や香道も、母胎が室町時代にあり、その後に育まれ花開いていきました。私たち現代人はどうしても個々の公演や展覧会として伝統文化に接しますが、本来はお寺という場で複数の芸能や芸術が同時に楽しめるものでした。

根底にはやはり共通する日本の美意識があります。すべてを表現し尽くすのではなく、あえて想像させることで奥深い世界を紡ぎ出す美意識です。

その背景にはそれらが生まれた時代の精神や生活様式もあり、そうしたものは知識として理解する以上に、その場に身を置くことで体感できるものだと思います。

佐伯 分野をこえて伝統文化が交わる場といえば、「第1回令和京都博覧会」(2020年10月)で青蓮院を舞台に行われたいけばなとお能のコラボレーションが大変印象に残っております。

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第1回令和京都博覧会 提供:華道家元池坊

池坊 ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた頃で、文化活動どころではない雰囲気がありました。

かつて、都が京都から東京に移ったことで京都は衰退しました。その状況を打開すべく「博覧会」を開いて文化の力で盛り上げたという事例が過去にあります。それに倣って、「文化に生きる人間として、医療とは異なる形で困難な時代を少しでも変えることができたら」という思いで始めました。

佐伯 あのときは専好先生のいけばなと片山九郎右衛門さんのお能がすばらしいハーモニーを奏で、青蓮院の空間とあいまって大変感銘をうけました。十二単の衣装もとても似合っていらっしゃいました。あれほどすばらしいコラボレーションを実現されるには、お打ち合わせも綿密になさったのでしょうか。

池坊 実は、生ける過程を人前で見せるということは普段はなく、完成したものをご覧いただきますが、あの時は生ける場面そのものを舞台の上でお見せする必要がありました。

片山さんの能の世界観と、出来上がった花を調和させなくてはなりませんし、私自身も十二単を着ていたため、手の動きや角度ひとつ取っても普段とは感覚が違いました。そうした条件をふまえて入念に打ち合わせをしました。

しかし、「自分の専門を通じて1つの場をつくり、文化の力で少しでも元気を届けたい」という思いを全員が共有していたので、準備も楽しい時間の連続でした。

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