巻頭言で、伝統文化としての歌舞伎は、ポピュラー・カルチャーからハイ・カルチャーへと変容する近代の産物であることが記されているが、これはあくまでも歌舞伎の受容史という軌跡から見た全体的傾向であり、私が専門とする江戸時代の歌舞伎の内側から生じた運動に目を向けると、それとはまた別の見方が生じる。
例えば享保時代に二代目市川団十郎が俳諧を通して幕臣や富商と交友するにつれて、俳号が役者の通称として定着するようになったり、天保時代に七代目団十郎が衰退する劇界で自身の名跡を権威付けするための高尚な芸として歌舞伎十八番を制定したりと、江戸時代にも歌舞伎をハイ・カルチャーに押し上げようとする運動は度々起こっている。
視点を変えれば、歌舞伎をハイ・カルチャー化した近代の演劇改良などは、江戸時代以来の高尚化の運動がある閾値を超えた結果に過ぎないという見方もできる。
フレデリック・クレインス氏「サムライ文化の国際発信──ステレオタイプ的な歴史認識から史実に忠実な文化理解へ」がドラマ『SHOUGUN 将軍』を通して論じた、異文化の奥深さに対する敬意の重要性は、伝統芸能の発信のしかたを考える際の試金石となるように思う。
2024年末から2025年初にかけて、国内では時代劇映画『侍タイムスリッパー』が話題となった。『SHOUGUN 将軍』と違い、侍の時代そのものを描いたわけではないが、時代劇が斜陽産業として抱えるリアルな葛藤を、その業界の総力を結集して描き切った点に、胸が打たれる魅力があった。
『国宝』しかり、現代社会にとって異文化となりつつある分野の奥深いリアルに正対し、ホンモノをそこに再現しようとする熱意をもって発信するものには、人の心を動かすだけの説得力が伴う。
その点、神崎宣武氏「和食と民俗」や、池坊専好氏+佐伯順子氏「いのちと文化をつなぐ使命」で提言された伝統文化の儀礼的側面は、伝統芸能の世界でももっと積極的に再検討される必要があるのではないか。
芸能が宗教や年中行事などの儀礼とどのように結びついていたかという問いは、グローバルに開かれた大きな問いである。
桑原ゆう氏「日本音楽の本質とは」が提唱する寒天時空論を、失礼も省みず甚だ恣意的に援用すると、伝統芸能で上演される作品の外側には元来、祝祭性や儀礼性に満ちた時空が広がっていた。
