映画「国宝」展のポスター Hiroshi-Mori-Stock-shutterstock
「『国宝』どうでした?」2025年、私が最も多く受けた質問である。
昨年6月初旬に公開された映画『国宝』が大ヒットとなり、半年以上経った今なお、各所の映画館では上映が続けられ、書店では原作の小説が平積みにされている。伝統文化を題材としたコンテンツとしては異例の大当たりであろう。
歌舞伎や伝統文化の研究を生業とする私が思うに、このヒットの一因は、『国宝』が歌舞伎のホンモノにこだわった点にあった。
すでに様々な演劇通や原作者自身がネタばらしを行っているが、映画に登場する人物や出来事の多くには、過去の実際の名優や事件のオマージュが散りばめられている。
そして作中では「曽根崎心中」「藤娘」「京鹿子娘道成寺」など、俳優自身が実演を見せるシーンが長く設けられていたことも大きな特色であった。
この類の映画やドラマは大概、実演のシーンをどうにかして誤魔化しがちだが、『国宝』では俳優らが長期間の稽古を積んだうえで舞踊や芝居を演じ、それを臆することなく上演しきって見せた。
175分に集積された数々のホンモノの伝統文化が、観る者に一定の説得力を訴えかけたことは間違いない。
『アステイオン』103号の特集「発信する日本文化──伝統と可能性」において、伝統芸能の話題が佐伯順子氏の巻頭言の一部、そして特集外の日比野啓氏の研究レポート「いま、沖縄演劇がアツい!」のみに言及されたことは、奇しくもその伝統芸能の近年の危機的な状況をそのまま反映しているかのような印象であった。
とはいえ、日本文化の伝統にどのように向き合い、いかに発信していくことが課題となるかという本特集の多角的なテーマからの問いかけは、伝統芸能にもそのまま突き付けられるものばかりである。
佐伯氏の巻頭言に「<伝統><古典>という概念と実態についても、不断の問い直しが必要である」とあったように、本特集は結果として「伝統」の内実を、過去から現在に至るまでの集積体として向き合うのか、その時間軸を通り抜いてきた軌跡として見つめるのか、はたまたその軌跡を生み出した運動の時空としてその特性を捉えるのか、という視点の多様性を示し得ている。
