アステイオン

追悼

美術史家・高階秀爾が生前に語った、劇作家・山崎正和とは?...「人間とは何か」を問い続けた生涯

2025年08月19日(火)11時00分
高階秀爾(美術史家)

もともと「アルス」という言葉は、古代ギリシャ医学の祖ヒッポクラテスが言った(とされる)「アルス・ロンガ・ヴィタ・ブレヴィス」(技術〔の習得〕は長く、人生は短い)という耳慣れないどころか広くよく知られた箴言に基づくもので、ヒッポクラテスが言いたかったのは、医術は人間の身体を癒やす技術であるが、それは人間の生命に対する畏敬の念に支えられていなければならないということである。

山崎さんは、この「アルス」の概念を援用して、手仕事である絵画や彫刻という芸術は、技術力としては機械に及ばないとしても、絵画や彫刻芸術の価値は、その技術力を用いて、機械には出来ない想像力を働かせて新しい生命表現のかたちを生み出すことであると述べている。

その場合、手仕事という表現は「手」という身体生命と結びついている。まして、コリングウッドでは、その視野にははいっていなかった身体そのものを素材とした芸術、すなわち演劇をはじめ、舞踊、芸能、祭りなど身体芸術は無視されている。それを批判する点に劇作家としての山崎さんの人間を見る眼が強く働いている。

『社交する人間』の後段が、社会論の枠を越えて、文明と文化の対立に及んでいるのは、そのためである。人間の身体と深く結びついた文化こそ人間の生命表現である人間論となるからである。

したがって山崎さんが、『社交する人間』に先立って、『文明の構図』という卓抜な文明批評論を送り出したことは見逃せない。もはや詳述するまでもないが、ここで山崎さんが展開する「文明」論は、近代テクノロジー文明である。

もちろん山崎さんはその文明がもたらした利便性や、生産手段の拡大による富の増大など人間にとってのプラスの面も高く評価する。そしてそれがもたらした政治、経済、教育などの制度の大きな功績をも見逃してはいない。

同時に近代になって発生した都市災害や都市型犯罪の発生にも眼を向け、経済活動では損得勘定だけではなく、「信用」という無形の情報が重要な役割を果たすようになったと説く。

この点に関して、山崎さんが近代以前の江戸時代の商人のあいだで「正直」という道徳が重んじられたことに触れているのは、日本文化論としても重要である。そしてこの壮大な『文明の構図』の最後の章は「アルスの復活」なのである。

この場合、「アルス」というのは、技術や知識ではなく、いやそれだけではなく、人間の生命表現に捧げられた「叡知」と呼ぶべきものであろう。

山崎さんの仕事は、それから本格的な芸術論に向かい、『装飾とデザイン』『リズムの哲学ノート』、そして「リズムの発現と言語文明」(未完)へと続く。

だがまさしく身体存在としての人間の正体を見据えたこの最後の論考を執筆中に、山崎さんは帰らぬ人となった。残念という他はない。まことに山崎さんは「知識」と「叡知」を兼ね備えた「知の巨人」であった。合掌。


高階秀爾(Shuji Takashina)
1932年生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ大学付属美術研究所およびルーブル学院で西洋近代美術史を専攻。東京大学文学部教授、国立西洋美術館館長などを経て、大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長をつとめる。東京大学名誉教授。著書に『名画を見る眼』(岩波書店)、『近代美術の巨匠たち』(岩波現代文庫)、『近代絵画史』(中央公論新社)、『日本の美を語る』(青土社)など多数。2024年10月逝去。


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 『別冊アステイオン それぞれの山崎正和
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