アステイオン

対談

鋭く感じ、柔らかく考えてきた三十年 特別企画 vol. 084

2016年06月16日(木)
山崎正和+苅部 直

SUNTORY FOUNDATION

アステイオンの創刊に関わり、現在は「アステイオン編集委員会」顧問の山崎正和。海外との知的交流、その時代・思想の潮流の紹介など、本誌誕生の経緯や取り組み、今後について、現編集委員・苅部直が聞く。

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SUNTORY FOUNDATION

創刊の経緯について

苅部 『アステイオン』の創刊号は1986年7月発行。今年で30年を迎えます。山崎先生は創刊時に編集委員を務められ、その後も長らく関わってこられましたが、この雑誌を始められたときの背景やねらいについて、まずお話を伺えればと思います。

山崎 当初、サントリー文化財団(1979年創立)の紀要を出したいという声が事務局からあがりましたが、私は強く反対しました。財団やお役所の紀要は、送っても直ちに紙くずかごに行ってしまい、読まれない。

しかしここに粕谷一希という人物が現れ、彼を編集長として『アステイオン』が創刊されることになります。中央公論社の泥沼の労使紛争で会社を辞めていた。それを理事の一人として文化財団に招いたわけですね。その強い希望があって、それなら雑誌を出そうかと。当時まだ代々木系が圧倒的に強かった出版界の中で、公正な雑誌を出したい。それが粕谷氏の意図だった。

そこで私の方も、社会科学だけでなく人文学の論文が載るような雑誌を作りたいと考えました。また、どうせやるなら国際性もある雑誌が欲しいという気分がありまして、当時、財団の中にあった、生活文化研究所の機関誌という感じでスタートしました。この研究所にはダニエル・ベルとハーバート・パッシンも入っていた。

苅部 奥付での「編者」も、最初はサントリー文化財団・生活文化研究所になっていますね。山崎先生やベル、パッシンといった方々が「編集委員」で、粕谷さんが「編集長」。

山崎 ダニエル・ベルとは、文化財団設立のさいに開いた国際シンポジウムに招いたのが縁で、気が合って非常に親密になりました。そういう国際的な知的交流の場としての生活文化研究所を活発にするという意図もあって始まった。

雑誌の名前については私に任されたので、国際的に執筆者を集める雑誌だから、日本語でなく横文字にしようと考えた。ところが英語、ドイツ語、フランス語、どれにしても、日本が下風に立つでしょう。何となく腹が立つんですよ(笑)。

苅部 それでギリシャ語のアステイオン(都市らしさ)に。

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