アステイオン

対談

鋭く感じ、柔らかく考えてきた三十年 特別企画 vol. 084

2016年06月16日(木)
山崎正和+苅部 直

山崎 ギリシャ語なら絶対に彼らも文句は言えないだろうと。そこで、私の恩師筋にあたる田中美知太郎という大先生の弟子に種山恭子さん(元・弘前大学教授)という偉い学者がいました。友人でこの十年ほどあとに亡くなってしまった方ですが、その人に電話をかけました。都市的・都市性というニュアンスの言葉はないかと。そうしたら彼女が、都市を意味するアステュを形容詞形にしたアステイオンはどうかと言ってくれたんですね。

苅部 いまも『アステイオン』の扉に毎号載っている巻頭言は、その「都市」「都市らしさ」のニュアンスを説明する文章になっています。これは山崎先生が書かれたんですね。

山崎 私としてはダニエル・ベルたちに対して大いに顔が立ったわけです。どうだ、アステイオンなんて知らないだろうと(笑)。ただ、いまも表紙に載っている「鋭く感じ、柔らかく考える」という文句、創刊当時は「鋭く感じ、柔らかく考える国際総合雑誌」だったのですが、これは私じゃないんです。財団の事務局長だった伊木稔さんがなかなかしゃれた人で、こういう題を後からいつの間にかつけたんですね。

雑誌の編集は、最初は大変でした。創刊時の編集委員にはベル、パッシン、私を含め六人の名前が入っていますが、実際には私と粕谷氏だけが、当時の版元のTBSブリタニカに乗り込みまして、プロの編集者たちを前にして、侃々諤々と議論しながら雑誌を作っていた。原稿が集まったあとで、それをどう並べて目次を作るか、具体的なタイトルをどうするかといった議論を、季刊の毎号やっていたわけです。

苅部 創刊号の冒頭は、丸谷才一さんの『新々百人一首』(単行本・1999年)の連載第1回です。森まゆみさんの『鷗外の坂』(1997年)も『アステイオン』の連載で、芸術選奨文部大臣新人賞を受けています。ほかにも川本三郎さんの『大正幻影』(1990年)や大笹吉雄さんの『花顔の人―花柳章太郎伝』(1991年)など、最初のころは、文藝誌のような性格ももっていたんですね。

山崎 丸谷氏とは長いつき合いですから、やはり頼もうという感じで連載にしました。もう一つは、編集長の粕谷氏の頭にあったのが昔の『中央公論』なんです。目次を開くと、右に社会科学系の評論、左に文藝評論、そして小説が並ぶという総合雑誌の作りかたです。

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