では俊基を救ったというその「歴史」とは具体的には何かというと、それは古典(『平家物語』)のなかに凝縮されているこの日本の「総体的な他人のまなざし」である。眼に見えぬこの「他者の視線」によって俊基の行動は律せられ、われわれに強く訴えかけるものとなるのである。
ここまで来れば、俊基の行動分析の根となるものが、山崎さんの演劇論に見られる思想と本質的に同じであることが容易に見てとれるであろう。
演劇は本来、舞台上で演ずる役者とそれを見る観客とによって成立する。役者は絶えず自己の演技を磨き上げなければならないが、同時にその自己を見つめる他者──観客──の眼を意識しなければならない。そうでなければ演劇芸術は成り立たない。
世阿彌が説く「離見の見」とは、まさしくそのことにほかならない。優れた思想劇とも言うべき山崎さんの最初の戯曲『世阿彌』が、この能楽の大成者を主人公に据えているのは、決して偶然ではない。
山崎さんのこの演劇論は、ほぼ三十年ほどの歳月を経て、「人間とは何か」を問う山崎さんの次ぎの人間論『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』に結実する。「社交」とは、劇場ではなく、「社会」を舞台とする演劇にほかならないからである。
そのことは、この長篇評論が「社会と社交」でもなければ「社交とは何か」でもなく、端的に「社交する人間」と題されている点に明きらかである。
当然そのためには、舞台となる「社会」といういささか曖昧な概念に明確な内容規定を与えなければならない。『社交する人間』が、同時に優れた社会論、特に近代社会論ともなっているのは、そのためである。
全十章プラス終章から成るこの長篇評論の冒頭に、導入部として序章「社交への飢餓」が置かれ、そこでエドワード・オルビーの戯曲『動物園物語』が紹介される。
この遣り方は、先に見た「私生活者のための歴史」の冒頭に、山崎さんの芝居公演にかけつけたかつての大学の同僚たちとの幕間の雑談をまくらに振ったのと同様に、一見無関係な、しかし実は主題と深いかかわりを持つエピソードを導入に用いるという劇作家山崎正和の面目をよく示している。
なお序でに言えば、「私生活者のための歴史」は、後に『徒然草』、世阿彌の「幽玄」の美学、鷗外、漱石、荷風などの近代文学、さらには生活の場と盆地とのかかわりを論じた「日本的表現の環境」などの諸論と合わせて『生存のための表現』という一本にまとめられた。私はこの『生存のための表現』を、山崎人間論の最初の重要な成果と呼ぶのに躊躇しない。
さらに贅言を重ねれば、山崎さんの友人たちが見たという芝居『野望と夏草』は保元、平治の乱を背景とした歴史劇である。したがって、舞台で語られる歴史も後白河法皇や平清盛も、虚構の産物である。
しかし虚構の存在であるにもかかわらず、というよりそれ故にいっそう、それは歴史の真実や特に後白河法皇、清盛の真の姿をよく伝えているのかもしれないのである。それは山崎さんの「人間を見る眼」が確かだからである。このことは『社交する人間』が提起する問題と、真っすぐにつながる。
『社交する人間』は「社会的存在」としての人間を対象としたものである。当然それは「社会論」にならざるを得ない。うんと乱暴に縮めて言えば、ジンメルの社会論は、人間個人のあいだの相互関係を「社会化作用」と呼び、それが「社会」という形式と内容を生み出したと説く。
ホイジンガは、人間生命の表われを「遊び」と捉え、無目的な生命現象であるからこそ、それに厳しい時間的、空間的規制を与え、ゲームの規則を定める「社会」となったと言う。コリングウッドは、物質に働きかける力(技能)が機械の登場によって飛躍的に増大し、現代のテクノロジー文明社会となったと論ずる。
ここで山崎さんは、コリングウッドの精緻な(巧妙な)分析を称揚しながら、「アルス」という耳慣れない概念を援用して、コリングウッドが「アルス」の英語訳である「アート」を技術の力とのみ解して、それを「芸術の原理」と見做すことを鋭く批判している。