アステイオン

座談会

中露に挟まれたモンゴルの「アンダ」(戦略的パートナーシップ)とは──モンゴルから中華を見る[後編]

2023年06月07日(水)10時57分
小長谷有紀+岡本隆司+田所昌幸 構成:荻 恵里子(京都府立大学共同研究員)

田所 そのシステムに合わないものもあるのでしょうか。

小長谷 相容れないのは、土地に投資できる人です。

草原利用では「いつもここを使ってきた」「ちょっと使わせて」という以上の権利はありません。「もっといいところに今のうちに移ろう」などと、移動は能力、力のある人がやることです。

それでも遊牧の世界では、どこかで食い詰めてきた人もそうでない人もみんな認め合う論理を共通にもって暮らしています。そのためいったん土地に投資したら必ず回収するというような異なる原理や価値観で土地を使う人とは相容れませんでした。

モンゴル人の変わらないノマドなライフスタイル

田所 今では人が定住し都市が猛烈に大きくなっていますが、全く異なるライフスタイルが現在のモンゴル社会にあるということでしょうか。

小長谷 はい、全く異なるライフスタイルがそこにはあります。しかし、性格はやっぱりノマドです。たとえばパーティーでは知っている人のところには行きません。パーティーとは彼らにとっては人と出会うためのしくみなので、知らない人のところへ行くのです。

IT以前の情報技術が身についており、そのように情報を志向して生きるところは変わりません。ですから海外を転々とする人などはまだ旅の途中とも言えます。

行き先の言葉ができなくても、行ってから学べばいいという生きざまはノマドです。家畜がいなくとも、文化的な遺伝子と申しましょうか、精神性を持っています。これは日本人がついぞ持っていないものかもしれません。

田所 ノマドの精神性とはそういうことなんですね。

小長谷 モンゴルの文化大臣と話しているときに、「日本の教育システムは優れている」とおっしゃったことがあります。日本のまねをしてモンゴルの教育システムをつくるのかと思いきや、小さな頃から日本に行けるようにしようという話でした。つまり、制度もやはりアクセスの対象なのです。

私の知り合いの運転手さんにはお子さんが5人いらっしゃって、1人はロシア語、1人は中国語、1人は英語、1人は日本語、1人はドイツ語を学んで、世界中に散っています。

言語を学ぶことは庶民にもできることなので、どこの国が将来得になるか分からないからこそ次世代でリスク分散しよう、と。家庭内でリスク分散しておくことは、モンゴル人にとって普通のことです。そういうセンスが私たちにはありませんよね。

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