アステイオン

文学

アルジェリアの村人となったドイツ人の父の「過去」と2人の兄弟の物語──「いま」を問う小説の役割

2023年04月26日(水)08時06分
鵜戸 聡(明治大学国際日本学部専任准教授)

「ラシェルが死んでから半年になる。三三歳だった」。

4月24日に兄が自殺したのだ。その死のきっかけとなった事件は残された日記から明らかだった。ちょうど2年前の4月24日にアルジェリアの僻村に住む両親が「武装イスラーム集団」と思しき民兵によって虐殺されたのである。

かくして「一つの悲劇から別の悲劇が呼び起こされ、そこからまた第三の、前代未聞の大悲劇が露わになっていく」。

兄弟の父ハンス・シラーは、ドイツ人ながら解放戦争を戦った聖戦士(ムジャーヒド)であり、独立後は村の長老の娘アーイシャ(兄弟の母)を娶って改宗し、やがて彼自身も長老(シャイフ)と呼ばれるようになった。

ラシェルは1970年に7歳で、マルリクは1985年に8歳でフランスに渡り、パリ郊外の団地で父の旧友夫婦に育てられた。実の両親は村に残ったきりで、ほとんど交流が途絶えていた。

ラシェルの本名はラシード・ヘルムート・シラー、マルリクはマレク・ウルリッヒ・シラー。それぞれアラブ名とドイツ名を合体させた通称を使っている。兄は工科大学出のエリート・ビジネスマンとして成功していたが、歳の離れた弟は郊外の不良少年といった態である。

同じように生まれ育っても別の運命を生きていく。兄弟・姉妹が体現する相似と対比の構造は、ありえたかもしれないもう1つの人生を映し出すのに都合がよく、文学作品でしばしば好まれる構図である(その最たるものが双子の物語だ)。

さらに本作ではそこに父親の存在が重なってくる。3人のシラーは、それぞれがハサン、ラシェル、マルリクと名前を変え、ドイツからアルジェリア、アルジェリアからフランスへと、地中海の対岸で新しい人生を送ってきたのである。

同じであることは、ときに誇りを、またあるときには重圧を生む。同じ兄弟なのに、兄は優等生で弟は落ちこぼれ。団地の導師(イマーム)は同じアラブ系の「同胞」にジハードを呼びかける。

もちろん実際には「同じ」なんてことは幻想に過ぎない。しかし、頭でわかっていても兄ラシェルはこう自問せざるを得ない。「私たちは父親の罪の責任を、兄弟や子の罪の責任を負っているのか?」

法律上は当然否である。しかし、「一つの糸でつながっている」以上、父と息子は無関係ではいられない。とりわけその罪が大きければ大きいほど、自分のものではない責任の重荷は無視できないものとなる。

イスラーム過激派による虐殺事件を知ったラシェルは、危険を冒して両親の村に帰り、昔馴染みに歓迎を受ける。

しかし、「アルジェリアで自由のために戦った男であり、村人から愛と尊敬を受けた人物」だったはずの父の遺品のなかに彼が見つけたのは、ヒトラーユーゲントのバッジ、ドイツ国防軍のメダル、武装親衛隊の徽章、そしてSSの黒い制服に身を包んだ父の写真......さらに軍人手帳には軍歴が詳細に記されており、配属地にはダッハウやアウシュヴィッツが含まれていた。

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