アステイオン

文学

文学は魂の糧──いち早く反戦の声をあげた、リュドミラ・ウリツカヤとその作品

2022年12月28日(水)08時18分
沼野恭子(東京外国語大学教授)
リュドミラ・ウリツカヤ

2011年、野党候補が出馬できるように訴える市民集会に参加したリュドミラ・ウリツカヤ(モスクワ市内) Maxim Shemetov-REUTERS


<ロシアを代表するリベラル派知識人のウリツカヤ。彼女が追求する、多様性を許容する「文学」の本質とは? 『アステイオン』97号より「文学は魂の糧」を全文転載>


2022年2月24日にプーチン政権がウクライナへの侵攻を始めたとき、いち早く反戦の声をあげたロシアの文化人たちの中に、リュドミラ・ウリツカヤ(1943年生まれ)がいた。現代ロシアを代表する優れた作家であると同時に、近年、強権的で反民主主義的なロシア当局に抗して舌鋒鋭く社会的な発言をおこなってきた勇気あるリベラル派知識人でもある。

開戦3日後の2月27日にウリツカヤは、「全人類に大惨事をもたらす状況を作りだした責任がわが国の指導者にあることは明らか」であり、「今私たちがしなければならないのは、刻々と燃え広がる戦争を止め、マスコミがわが国の国民に喧伝するプロパガンダの噓に対峙すること」だとの強いメッセージを発した。

このメッセージ全文からは、為政者の暴挙を事前に食い止められなかったことをロシアの市民として恥じ入る悔恨と失意の念が滲み出ている。

今回の戦争が突如始まったものではなく、そのきっかけとも前兆ともいえる出来事が8年前にあったこと、それ以来、ウクライナ東部で一種の戦争状態がずっと続いていたことは多くの識者が指摘しているとおりである。

その出来事とは、2014年2月ウクライナで、政権への反発から抗議デモが大規模化・先鋭化し、ヤヌコーヴィチ大統領が失脚してロシアへ逃亡する事態となり(いわゆるマイダン革命)、直後の三月に、ロシアが強硬なやり方でクリミアを併合したことを指している。

同年8月、ウリツカヤはドイツの『デア・シュピーゲル』誌に「ヨーロッパよ、さようなら!」と題するエッセイを寄稿している。そこには、300年間にわたってロシアはヨーロッパと価値観を共有してきたが、今やヨーロッパと袂を分かってしまったという慨嘆が綴られていた。

 私の国は今、文化に対して宣戦布告をしました。ヒューマニズムの価値に対して、個人の自由という理念に対して、人権という理念に対して宣戦布告したのです。長きにわたって文明が築き上げてきたこうしたものに対して。(略)

 ロシアでは文化が惨敗を喫し、私たち文化人は自分たちの国家の破滅的な政治を変えることができないでいます。ロシアの知識人社会においては分裂が起こり、ふたたび20世紀初頭と同じく、戦争に反対するのはごく少数の人だけになっています。私の国は日々、世界を新たな戦争に近づけようとしています。わが国の軍国主義はすでにチェチェンとグルジアでツメを研ぎ、今度はクリミアやウクライナで足馴らしをしています。さようなら、ヨーロッパ。私たちがヨーロッパという諸民族の家族に入れてもらうことはもう決してないでしょう。

『デア・シュピーゲル』2014年8月18日号

この時点でウリツカヤは、当時の情勢を20世紀初頭の状況と重ね合わせていたわけだが、まるで8年後の現在を予言しているように響きはしないだろうか。ロシア当局による今回の蛮行は、まさしく文化、ヒューマニズム、自由、人権に対する「宣戦布告」以外のなにものでもないのだから。

では、こうした反骨精神を抱く反体制知識人であり、かつロシアの読書界で圧倒的な人気を誇り、ノーベル文学賞の有力候補として毎年名前が挙げられる国際的な作家でもあるウリツカヤは、いったいどのような作品を書いているのか。

彼女の名前を広く知らしめた作品は、中編『ソーネチカ』である。


 『ソーネチカ
 リュドミラ・ウリツカヤ[著]/沼野恭子 [訳]
 新潮社[刊]

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP