アステイオン

思想

「悪」との付き合い方──本居宣長とチャールズ・テイラー

2022年10月31日(月)08時14分
島田英明(東京都立大学法学部准教授)

3 悪と回心のゆくえ

もっとも、『世俗の時代』は、こうした現状をただ嘆くために紙幅を費やす本ではない。テイラーはかかるディレンマに至るまでの歴史的経緯──「大文字の改革(Reform)」の進行とその批判──を詳細にたどった上で、大胆にも処方箋まで提起しようと試みる。

それは、悪の排撃とは異なる仕方で「世界を癒す」試みであり、「愛」と「赦し」をキーワードとするカトリシズムに立脚した道だという。掉尾を飾る第20章のタイトルは、ずばり「回心」。調子の伝わる一節を引こう。


どんな人間主義の見解であれ、それが落伍者や悪党、役立たずの者、死にかけている者、道を外れた者、つまり、人間の偉大さという約束を無効にしかねない者たちを無視するようにと私たちを誘惑しないかどうか、という問題である。おそらくは神だけが、またいかほどかは神に結びつけられている者たちだけが、人間存在を、それらがすっかり惨めであるような時にも愛することができるのである。(814頁)

「大かた神は、物事大やうに、ゆるさるる事は大抵はゆるして、世人のゆるやかに打とけて楽むをよろこばせたまふ」(玉くしげ)と語る宣長が、この一節を目にしたら、どんな顔をするだろうか。ふと共感を覚えつつ、すぐに眉をしかめ、しかし表面上はにこやかにやり過ごすだろう様子を想像すると、すこしおかしい気持ちもする。

ともあれ、表題とは裏腹に、世俗化理論の是非をこえた広汎な論脈が輻輳するテクストであり、そのさまざまな流れに運ばれて、読者はそれぞれ「世界の思潮」と出会うだろう。はたしてその行論は説得的といえるかどうか。老哲学者の無謀にも似た歩みのゆくえを、おおくのひとに、見届けてほしい。

[附記]本稿は特定の問題にフォーカスを絞ったため、『世俗の時代』の全体像をバランスよく伝えるものにはなっていない。簡便な概観として、辻康夫「西洋における宗教生活のゆくえ──チャールズ・テイラー著『世俗の時代』をめぐって」(『北大法学論集』第60巻第2号、2009年)が有益である。また、悪の扱い方につき、まるでちがった文脈から書かれた論攷として、次が興味深い。東浩紀「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」(『ゲンロン』第10号、2019年)、井上達夫「ネオ・ピューリタニズムに抗して──喫煙の人生論と法哲学」(児玉聡編『タバコ吸ってもいいですか──喫煙規制と自由の相剋』信山社、2020年)。


島田英明(Hideaki Shimada)
1987年生まれ。首都大学東京都市教養学部法学系卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学法学部附属ビジネスロー・比較法政研究センター特任講師、九州大学法学部准教授を経て、現職。専門は日本政治思想史。著書に『歴史と永遠──江戸後期の思想水脈』(岩波書店、サントリー学芸賞)など。



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