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国際政治

ミッテランに直談判し、国有化に反対したフランス軍需産業トップ──「ミラージュ戦闘機の生みの親」マルセル・ダッソー(下)

2022年10月11日(火)08時02分
上原良子(フェリス女学院大学国際交流学部教授)

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マルセル・ダッソー(1985年9月) Charles Platiau-REUTERS

さらに1981年に当選したミッテラン大統領は、社会党のお家芸とも言える国有化を公約としており、軍需産業もその対象とされていた。加えてダッソーの総帥、マルセルの高齢化と後継者問題も視野に入っていた。

マルセルはミッテランと直談判し、国有化に強く反対した。一民間企業の立場でなく、フランスにとっての利益を強調し「ダッソーが国有化されれば、それはダッソーの死を意味する」と訴えた。ミッテランもマルセルの力量には一目置いていた。

元外相デュマによれば、「ミッテランは、マルセルを一種の航空機ビジネス産業の天才とみており......フランスの確かな価値、大いなる価値に触れるべきではないと認識した」という。

首相を務めたモーロワも、国有化論争の中で「彼は古典的な資本主義者ではないことがわかった。分類不能な男である。航空機を生み出してきたエンジニアであり、才能があり、目立たず、控えめだが、広い志を持っていた」と回顧している。

ミッテランは、マルセルの主張を聞き、考えを改めた。しかし社会党の古参の活動家を納得させる必要もあった。そこで打開策としてダッソーが保有する株式のうち26%を国家に寄付することを提案した。

財政的には損失であったが、国有化は免れ、経営権は維持し、マルセルは技術アドバイザーとしてとどまることが可能となった。マルセルの認識ではこの寄付は、国家に対するものではなく「フランス」への奉仕であった。

1985年12月13日、マルセルは、新型戦闘機ラファールA(Rafale/突風)の完成に立ち会った。これはマルセルが公に姿を現した最後の日であった。

マルチロール型のラファールは、初めて空軍と海軍航空隊双方に配備可能な記念すべき機体となった。そして1986年4月17日、マルセルは天国に旅立った。国家に貢献した偉人を奉じるアンヴァリッドにおいて、フランス政府は初めて一民間経営者の死に哀悼の意を捧げた。

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