石器の進化のなかでおもしろいのは、一時期、用途を超えた大きさや美しさを追求した涙型の石斧(ハンドアックス)があらわれることだ。片手では持ちにくそうな巨大なものもあり、どうみても実用的ではないので、能力を誇示する威信材や、宗教的なシンボルだった可能性もある。
でも、つくりたかったからつくったのだ、という指摘もある。手数をかけて対称形の石器をつくるプロセスではフロー状態に入りやすいし、そこには快がある、つまりおもしろいからだ。ものづくりをするときに、没頭して時がたつのを忘れた経験がある人には、案外、納得できる説ではないだろうか。
今回、スポーツの話にアートを重ね合わせて読んでみると、思った以上に共通点があることに驚いた。
本来スポーツの世界では「わかる」より「できる」をめざす「実践知」が重要だ。でもこの対談を通して、為末さん自身は、理解したいという興味が強かったことに気づいたという。
「速く走ろうとするプロセスで、人間を、人間の心を理解したかったのだと思います」とふりかえる。
一般には、研究者の言葉は論理的で、アスリートやアーティストの言葉は感覚的、ととらえられるかもしれない。でも、アスリートやアーティストの言葉には、体験をもとにした独自の論理があるのだと思った。それは、知識を基盤とした論理と感覚を基盤とした論理との違いなのだろう。
感覚を基盤とするアスリートやアーティストは、感受性が豊かというだけでなく、とことん観察する人たちだという印象もある。
もっとも、アスリートの観察眼はおもに自分のからだ、すなわち内受容感覚に向いているのに対し、アーティストの観察眼は、どちらかというと外受容感覚、自然や社会などの現象に向いているという違いはあるかもしれない。
からだを動かしながら、それぞれの感覚をつぶさに観察して、何度も試行錯誤を重ねる。遊びを究めるなかで、からだが獲得した論理なのだと思った。
齋藤亜矢(Aya Saito)
1978年生まれ。京都大学理学部卒業。同大学院医学研究科修士課程修了。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。京都大学野生動物研究センター特定助教、中部学院大学准教授などを経て、現職。専門は芸術認知科学。著書に『ヒトはなぜ絵を描くのか──芸術認知科学への招待』『ルビンのツボ──芸術する体と心』(ともに岩波書店)、『進化でわかる人間行動の事典』(共著、朝倉書店)など多数。
『アステイオン 96』
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