アステイオン

ウクライナ

非英雄的な平和と英雄的な抵抗

2022年06月30日(木)07時57分
田所昌幸(国際大学特任教授、慶應義塾大学名誉教授)

ウクライナ社会には深刻な分断があり、ロシアへの親近感を持つ人々も相当数いたのだろう。腐敗が横行していることも指摘されてきたし、ゼレンスキー大統領も政治的には素人で定見のないポピュリストにすぎないという評価もされた。

しかし粘り強い抵抗を続けるウクライナ軍と、英雄的な抵抗の姿勢を巧妙に発信し続けるゼレンスキー大統領の姿は、外国からの援助によって装備に勝ってもタリバンの攻勢の前に総崩れになったアフガニスタン軍や「流血を避けるため」に早々に首都から逃亡したガニ大統領との対比を思わずにはおれない。

キーウ(キエフ)は陥落するかもしれないし、ゼレンスキー大統領の運命もわからない。NATOがあてにできないと悟ったウクライナはロシアの求める「中立化」や「非武装化」を受け入れるかもしれないし、プーチン体制が崩壊することも考えられないわけではない。

しかし砲火にさらされながらともに抵抗した体験によって、ウクライナ人が民族として生き残ることは、いかなる予測よりもこの戦争の帰結として確実のように思える。

交渉や抑止の努力も、結局プーチンの戦略的愚行を思いとどまらせることはできなかった。起こってしまった悲劇を生きているウクライナの人々は武器をとって抵抗する道を選んだ。その姿は悲劇の感覚に乏しい現在の日本人にとっても他人事ではない。クリミアはウクライナの北方領土なのだし、台湾や日本はアジアのウクライナになるかもしれないのだから。


【追記】なおウクライナに関する論考として、本誌でも拙稿「「ウクライナ」を創るプーチン」(83号、2015年)、下斗米伸夫氏「二つのキリスト教世界──ウクライナ危機の文化論的起源」(81号、2014年)、アンドリー・ポルトノフ氏「ウクライナ・アイデンティティ──その多様性と雑種性」(同上)を掲載している。


田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
1956年生まれ。京都大学法学部卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。京都大学大学院法学研究科博士課程中退。博士(法学)。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授、慶應義塾大学法学部教授を経て、現職。専門は国際政治学。主な著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『越境の政治学』(有斐閣)、『社会の中のコモンズ』(共著、白水社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など。



アステイオン 96
 特集「経済学の常識、世間の常識」
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP