アステイオン

アカデミック・ジャーナリズム

数と独立──棲み分ける批評Ⅲ

2021年12月15日(水)17時00分
東 浩紀(批評家・「ゲンロン」創設者)※アステイオン95より転載

とはいえ、それから20余年、アカデミシャンとしてもジャーナリストとしても中途半端なキャリアを積んできたぼくは、もはやその対立にあまり関心を向けていない。いま関心を向けているのは、むしろインディペンデント(独立)かどうかという別のタイプの対立である。

ぼくはこの10年ほど、ずっと「独立」を目指して苦闘してきた。具体的には、組織を離れ、会社を起こし、そこを起点として言論活動を行い、そこからの収益で生活ができるように環境を整えることに注力してきた。

大学人は独立していない。彼らは被雇用者である。雇用者である大学に生計を押さえられていて、発言にも制約がある。

それでは大学を離れてフリーのメディア人になればいいのかといえば、話はそう単純でもない。印税やテレビ出演で生計を立て、個人事務所を抱える言論人は少なくない。けれどもそれだけでは独立を意味しない。

印税が収入の主であれば出版業界とは喧嘩ができないし、出演料が主であればテレビ業界には頭があがらない。フリーランサーは、雇用契約で守られていないぶん、むしろ大学人よりも立場が弱く独立から遠い面もある。ほんとうの独立を手に入れるためには、大学にもメディア業界とも関係がない第三の道を探らなければならない。

ネットの出現、とりわけSNSと動画配信の台頭はその新たな可能性を示した。けれどもそこにはこんどはPV(ページビュー)の壁が立ちはだかっている。広告に依存するいまのネットで多少まとまった金額を手にするためには、百万単位のPVを稼がねばならず、それもまた発言内容を制約する。いわゆる「インフルエンサー」の発言がどんどん過激で単純になっていくのは、その環境での必然である。

そんな八方塞がりの状況でどうするか。ぼくは2010年に起業した。そして、試行錯誤を繰り返したすえ、数千から数万単位の支持者がいれば最低限の収益と影響力は確保できるような、出版と動画とオフラインのイベント運営を組み合わせた独自のビジネスモデルにたどり着いた。

具体的な歩みは『ゲンロン戦記』という小著で記したのでそちらを見て欲しいが(2)、結果としていまぼくは、学者仲間の評判を気にする必要もなければ、メディアに飽きられることに怯える必要もなく、かといって匿名のネットユーザーの機嫌を取る必要もない、かなり自由な立場を手に入れている。ぼくは50歳で、デビューから四半世紀余りが経った。それだけの時間をかけ、ようやく独立した足場を築くことができたわけだ。

むろんすべての利得には代償が伴っている。ぼくが独立と自由を手に入れた結果失ったものは、数である。

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