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日本

舞台をまわす、舞台がまわる──山崎正和オーラルヒストリー

2017年05月24日(水)
阿川尚之(同志社大学特別客員教授)

ただ不思議なのは、こうした体験とその背景を、時に身を乗り出して語るなかで、自分は一つの点景に過ぎないと山崎さんがくりかえし強調することである。共産党員として活動し、大学で学問に取り組み、左翼全盛の演劇界に身を投じ、あるいは首相に助言をし、サントリー文化財団の仕組を作り上げても、覚めている。いや覚めているように見える。

もちろん1960年代政治の世界に深く関与したのは、日本という国家がまだ非常に小さく見えて、自分が守り支える必要があると考えた。サントリー文化財団を作ったのは、専門化し蛸壷化した学問分野にとらわれず、総合的に深く考える真の知識人を育てる必要があった。そうした至極もっともな説明はあるのだけれど、自分が関与したのは偶々そこに居合わせただけであるかのような姿勢に徹する。それはなぜなのか。

山崎さんはこうした問いを予想していて、政治と長く関わったのは、むしろ「ある種の諦念があったから」だと述べる。それを森鷗外に見られる「自分には自我がない」という自覚に結びつけ、「私自身も(鷗外と同様)自我を空白としてしか把握できない」と言い切る。

しかし、そうした自我のない山崎さんが、時代が何を必要としているかを他の人に先がけてたびたび見抜き、その実現のために新しい仕組をつくり、適任者を見つけて配し、徐々に軌道へ乗せることに、異様なほど熱心である。この劇作家は芝居を書いていないときも、常に筋書きを考え、配役を考えている。山崎さんはこれを「積極的無常観」という巧みな言葉で説明するが、本当だろうか。むしろここにこそ、山崎正和の自我が存在するのではないか。「いかにして人は自身を知るか。観察ではなく、行いによってである」というゲーテの言葉を、他ならぬ本人が引いているではないか。

70年代にニューヨークで大ヒットし、今でもしばしば上演される『コーラスライン』というミュージカルがある。声だけで出演するザックという演出家が、舞台のうえに売れない俳優たちを立たせ、オーディションを行うという設定である。一体君はどうして舞台に立ちたいのか、君は誰なのかというザックの問に、抵抗しつつも一人一人が自分について赤裸裸に語りはじめる。

10年前の山崎オーラルでは、いつもは演出家のさらに背後にいて役者を見定めている山崎さん自身が、初めて舞台の上に立たされ、いったいあなたはだれなのかと、4人のザックから問われ続けた。問われなくても考えさせられた。時には居心地が悪かっただろう。そのせいかどうか、オーラルの成果は10年間封印された。

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