村長は独裁が終わり、平和が訪れたように語るが、村人たちの発言はロマに対する排斥が繰り返されていることを物語るし、平和は危ういバランスの上に成り立っているようにも見える。そこで重要になるのが、前掲書の以下のような記述だ。

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『現代東欧史 多様性への回帰』ジョゼフ・ロスチャイルド  羽場久浘子・水谷驍訳(共同通信社、1999年)

「しかし、権力の集中と特権の構造はチャウシェスクの没落ののちまでしぶとく生き延びた。強制、恐怖、疑惑、不信、離反、分断、超民族主義といった政治文化がルーマニアで克服されるまでには長い時間が必要である。結局のところこうした文化は、半世紀にもおよぶ共産主義支配によってさらに強化される前から、すでにルーマニアの伝統となっていたからである」

本作の登場人物たちのやりとりからは、そんなルーマニアの歴史とそれに対する複雑な感情を垣間見ることができる。

たとえば、フランスのNGOのメンバーに部屋を提供しているルーマニア人の村人は、フランス人にこんなことを語る。フランス人にとっては世界=西欧だろうが、ルーマニアはオスマン、ロシア、ハンガリーなど常に帝国の間で苦しみ、2千年にわたって西欧を守る壁になってきた。また、マティアスは息子に、彼らの祖先がルクセンブルクあたりから700年前にやってきたと説明する。

村に暮らすルーマニア人や少数派にはそうした背景があるが、見逃せないのは、村にやってきたふたりのスリランカ人に対する彼らの反応に違いがあることだ。

スリランカ人労働者と民族間の反応

クリスマス休暇に入って村で開かれたパーティには、スリランカ人も招待される。ドイツ人のマティアスはハンガリー人のグループと行動をともにしているが、スリランカ人の存在を苦々しく思っているのは、そのハンガリー人の仲間たちだ。仲間のひとりは、自分の姉がスリランカ人と踊っていたと知らされ、怒りが込み上げる。そして、それまで話していたルーマニア語が突然、ハンガリー語になって、「このゴキブリめ、痛い目に遭わせてやる」と息巻くのだ。

この場面はひとつのポイントになっている。なぜなら、その後、村人たちに影響を及ぼしていくのは、ネットのコミュニティ・フォーラムだが、そこでも少数派と多数派の反応の違いが露わになっていくからだ。

コミュニティ・フォーラムに、最初に「奴らがやるのは盗みと殺しだけ」、「一人雇えばじき群れになる」、「病気を持ち込む」などのコメントを書き込むのはハンガリー人だ。そして、これに対してルーマニア人から、「差別するのはハンガリー人」、「ハンガリー語学校を閉鎖しよう」、「その2人よりハンガリー人が去れ」といった反応が現れる。

ここで思い出したいのは、先ほどの最初の引用にある「ルーマニア人と少数民族(おもにハンガリー人とロマ)」を「相互に、またそれぞれの内部で反目させる」という部分だ。

地元のパン工場の女性オーナーは、彼女から経営を任されているシーラと同じハンガリー人だ。彼女たちはEUから補助金を得る条件を満たすために、最初は村に求人広告を出していたが、村人はより報酬がいい西欧への出稼ぎを選ぶため、やむなく最低賃金でも働く外国人労働者を雇用した。しかしそれが思わぬ結果を招き、ハンガリー人同士が対立していく。

さらにマティアスも、スリランカ人の雇用を守ろうとするシーラと、彼らを排斥しようとするハンガリー人の仲間との間で、難しい立場に追いやられ、居場所を失っていく。

言語、政治文化、そして葛藤

ムンジウ監督は、言語も含めた緻密な構成や長回しなどを駆使して、表面的な平和に潜んでいる克服し難いルーマニアの政治文化を見事に炙り出している。

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