"finalvent" さんの執筆している「極東ブログ」はいつも更新が楽しみなブログの1つですが、今回の『夕涼みにマクドに立ち寄る』というエッセイも味わいがありました。お話はそんなに複雑なものではなく、「マクドナルドで、注文の順番待ちの割り込みをされたと思ったら誤解だった。その人は、こちらが注文済みで出来上がりを待っていると勘違いして割り込んだことが判明した」というエピソードです。

 オチについても「そういうことなら割り込みへの苦情を言わなくて良かった」という感想と、「事態を見ていたはずの店員はもう少し何とかならなかったのか」という提言で締めくくられており、どちらも極めて妥当なものだと思われました。ただ、その後で筆者が加えた独り言めいたコメントには、色々と考えさせられたのも事実です。

「教訓は......、うーん、なんだろ。まあ、些細だけど教訓に富んだ経験ではあったなと思うが、うまくまとまらない。」

 軽い口調ですが、どこか重苦しさを感じます。筆者として「何かが問題だ」と感じながら、その「何か」をつかむのが難しい、そんな重苦しさとでも言いましょうか。仮にそうだとして、その重苦しさというのは、何なのでしょう?

 1つは、このエピソードが解決したのはあくまで偶然ということです。その「割り込んだ」若い男性は、自分が勘違いして割り込んだことを反省して

「私のほうを見て、ちょっと済まなさそうな顔をして、もしかしてお先でしたか?と言った。」

というのです。この「もしかしてお先でしたか?」というフレーズが完璧であることを含めて、初対面の人が相手で、そして軽いコンフリクトを抱えている状況でこのように「サラリ」と問題に対応して見せるような人は、現代社会では珍しいと思います。

 余りも完璧な対応を相手がしてしまったために、借りを作ったとか、割り込みに対して苦情を言おうか迷っていた自分がちょっと恥ずかしくなったという感覚もなかったのでしょう。その代わりに、今回は「偶然、相手が良い人なので救われたが、普通ならモヤモヤしたままで終わるに違いない」という懸念の感覚が強く残ってしまったのだと思います。だとすれば、たいへんによく分かります。

 もう1つは、この筆者の思考が「店側への注文」へと向かったということについてです。確かに「割り込みの一部始終を見ていた」はずの従業員が不作為であったというのは、問題だというのはよく分かります。勝手な想像をするならば、注文の順番を待っている客の列で割り込みがあった場合に関するオペレーション・マニュアルは存在しないか、もしかしたら「客同士のトラブルには極力介入しない」とか「割り込みがあっても、割り込まれたほうが甘受した場合は事を荒立てない」という規定があるのかもしれません。

 では、店の側としたらどうしたら良かったのでしょうか? 例えば今回のケースとは違って、明らかに「故意の割り込み」があった場合では、どんな対応が考えられるのでしょう?

 まず考えられるのは「割り込まれた側」だけに謝るという対応です。順番が回ってきて、しかも「割り込んだ側」がその場から立ち去ったのを確認した上で「列が乱れてすみませんでした」という風に、店側が悪いと下手に出て事を収めるという方法です。中には「本当にちゃんとしてくれないと困る」などと、謝罪を真に受けてその従業員にストレスを吐き出す人もいるかもしれませんし、「割り込み犯」と目前の従業員をまとめて「だからあなた達、今の若い人はなっていないのよ」などと大きく括って来る人もいそうです。ですが、問題の沈静化には効果がありそうです。

 そうではなくて、当事者2人がそこにいる時点で、割り込み状態への「是正」を図るとしたらどういうトークが考えられるでしょうか? 「恐れ入りますが、こちらのお客様が先ですので」というような指摘になるのでしょうが、それだけですと「割り込んだ」方を悪者にしたままでの気まずい状況を放置することになります。価値観も、メンタルの状態も多様な人々のいる社会では、全体的なリスクを高める危険にもなりかねません。

 ということであれば、「ご案内が不明確でご迷惑をおかけしました」という言い方で責任を引き取るという方法が考えられます。1つ問題が残るのは「割り込んだ方は故意だ」と思っている「被害者」の目の前で「店側が悪かった」と言って、「割り込み犯の顔を立てた」のは「被害者」には不快かもしれないという点です。その点については、最後に「割り込み犯」が立ち去った後で「お待ちの順番に混乱を来してしまい済みませんでした」と、これまた「悪いのはこっち」という引き取り方で、相手を立てれば大事にはならずに済むのではないでしょうか?

 ここまでお話してきて、やはり「極東ブログ」氏の「重苦しさ」は一向に解決していないことに気付かされます。例えばですが、

(従業員)「恐れ入りますが、こちらのお客様が先でして・・・」

(割り込んだ人)「これは失礼しました。もう注文が終わった方と思ったもので」

(割り込まれた人)「いいえ。お急ぎならお先へどうぞ」

(割り込んだ人)「とんでもない。お先にどうぞ」

(従業員)「お気を遣わせてすみません。お待たせしました」

 などという「会話」ができれば、私達の世代の感覚からすれば、重苦しさからは開放されるように感じられるのですが、冷静に考えてみれば、この「3人とも立派に見える」会話というのは、不自然な感じが拭えません。価値観が多様化した現在ではなかなか成立しない表現ということもありますが、「エレガントな表現」には「取り澄ました優越感」を感じて不快に思う感覚が現代の社会にはあるからです。

 行き方は2つあるのだと思います。今のような「繊細な配慮をした会話」をもう少し現代風にアレンジして再生できないかという方向が1つ、もう1つは「客同士の利害対立はビシッと白黒をつける」ようにして、「何もかも供給側が卑下するのがホスピタリティではない」という方針で臨むことです。

 というのは、これからのサービス業というのは二極分化が進み、高価なものは「繊細なトーク」で対応し、廉価なものは「客の絡んだコンフリクトは事務的に黒白をつけて対応する」という風に全く別のものになってくるのかもしれないからです。

 その結果として、前者のサービス提供者は「おもてなし」への報酬を手にする一方で、後者の場合は労働者が「感情労働」のストレスからは解放されるかもしれません。いずれにしても、そうなれば「スマイル=0円」という日本独自のカルチャーは雲散霧消することになるでしょう。

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ニューズウィーク日本版の編集部が夏期休暇に入るため、次回のブログ更新は8月20日の予定です。