<ジョージア人と日本人には、ある共通点があった...。日本人の「見えにくい信仰心」について>

宗教をテーマに議論するのは、とても難しい。それは多くの日本人も感じていることではないだろうか。

実は日本育ちの私にとっても、日本における宗教や日本人の宗教観について語ることは非常に難しい。というのも、日本人は一見、信仰心が薄いように見えるからだ。

だが、それは単に表面的にそう見えるだけなのかもしれない。そんなふうに思うようになったのは、ジョージアでの経験があるからだ。

ジョージアでは、日常会話の中に神様がよく出てくる。

例えば「神様がついているさ!」「全ては神様の意向で動いているからね」といった言葉をよく耳にするが、それは神様がいかに日常的かつ身近な存在であるかを示唆するものだ。人柄について言及するときにも「彼女は、とても信仰深い人だよ」とよく言う。

また、メンター的な存在である「痛悔(つうかい)司祭」がいたり、洗礼時に名付け親がいたりするのも普通だ。復活祭やクリスマス前に数週間にわたって動物性食品を断つ「物忌(ものいみ)」を実践する人も、今なお多い。

4世紀からキリスト教を国教として信仰してきた、伝統ある宗教国であるというのも大きな理由であろう。ジョージアを旅していると、人がどのようにたどり着いたのかも分からないような山奥で、たくさんの教会を見かけるのが、その証左である。

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