僕たちは親から、教師や聖職者、そのほか子供を任せている大人たち(サッカーのコーチやボーイスカウト隊長など)を信頼するようにと言い聞かせられていたから、親たちは確実に助けにならなかった。実際のところは、よく言われる「見知らぬ危険人物」よりも、こうした身近な人々からのリスクのほうが高いのにもかかわらず。

僕が一番の恐怖とともに思い出す出来事は、8歳か9歳の時、初対面の司祭に連れられてトイレまで連れて行かれそうになったことだ。彼が僕の肩に手を置いて鍵の束をふりかざす様子が本当に気持ち悪くて嫌な気分になったことを覚えている。でも彼は司祭だったから、僕は抵抗することなどできなかった。たまたまその時、僕の祖母が僕を見つけて呼び、知らない男の人について行ってはいけません、と説教した。僕がすぐに、彼は司祭だよと説明すると、それでは誤解だったということで落ち着いた。「それならいいけどね......」と。

僕は児童性的虐待の多発した時代を無傷で生き延びた。自分が信じていた、あるいは当然信じるべきだった大人たちが忌まわしい行為をし、他の子供たちに一生の傷を負わせ、さらに他の大人がそれをかばう、という事実を知ってしまった「心の傷」は別として。信じて当然のはずの組織――学校や教会、スポーツクラブ、そのほかのあらゆる若者団体などは、虐待で汚染され、ほとんど誰も処罰されることはなかった。

実際にどれほどのことが起こっていたかは、想像を絶するほどだ。あまりに多くの有望サッカー選手が、ユースのコーチに虐待を受けていた。BBCの司会やポップスターが、数々の少女たちをレイプしていたのも事実だ。先に述べた通り、僕は奈落の底を回避した。でも多くの沈黙の犠牲者たちは、そうではなかった。

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