対するナショナリストには、目先の確かな利益を提示した(北アイルランド政府内での「権力の分担」や、ほぼプロテスタントで占められていた北アイルランド警察庁〔RUC〕などの組織改革など)。彼らはアイルランド統一の夢を公に放棄する必要はないものの、おそらく何十年、何世代か先の夢になるだろうと認識する必要があった。

たぶんヒュームの最も素晴らしい洞察は、彼が個人的にどんなに暴力を嫌悪していようと、過激派のアイルランド統一主義者とIRA(アイルランド共和軍)抜きにして解決は成し得ないことを見抜いていた点だ。彼らをただ除外するわけにはいかなかった。彼らの暴力は非難しつつ、ヒュームは常にIRAの政治組織シン・フェイン党との対話を続けた。

アイルランドの穏健派ナショナリストは、IRAとの取引を拒否するのが当たり前だったし、英政府は常に、テロリストとは決して交渉しないと主張していた。ヒュームは、IRAだって和平プロセスに引き寄せられる可能性があると見て取り、また彼らが武器を捨て決定的にプロセスに参加しない限り和平は達成できないと考えた。

今日の不完全な和平は、いまだ継続中でおぼつかないプロセスであるものの、かつてアイルランドをむしばんでいた暴力や分断に比べれば格段に望ましい状況だ。これは、ヒュームのレガシーである。

ヒュームの偉大さを図るもう1つの方法は、限られた政治基盤の中でいかなる功績を成し遂げたか、ということだ。1990年代のアイルランド島の人口は500万人ほど。そのうち北アイルランドの人口は3分の1未満だった。その北アイルランドの住民のうち、約40%がカトリック。そのカトリックの投票者のうち、ヒュームが党首を務める社会民主労働党(SDLP)に投票したのは3分の2ほどだった。計算すれば分かるが、彼は言うなればクロアチア政界の第3党、もしくは直近のフィンランド総選挙で第7党の票を得た政党(ご参考までに、スウェーデン人民党という政党だ)と同じくらいの支持者しかいなかったことになる。

それでも彼は、米大統領やアイルランド首相や英首相と並び、世界の舞台に立ったのだ。

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