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イスラエル支援をめぐる米上院公聴会の傍聴席で反戦を訴える人々(写真背後) KEVIN LAMARQUEーREUTERS

公式見解が間違っている可能性はあるし、少なくとも疑問の余地があるかもしれないのに、それを探る意欲さえも失われてしまうかもしれない。

カルベン報告書は、「(大学が)集団として一致した意見を構築すると、大学の繁栄の基盤である反論の自由を必ずや妨げてしまう」と指摘している。「(大学とは)公的な問題について多数決で見解を構築する共同体であってはならない」のだ。

第2に、社会問題であれ、政治問題であれ、ひとたび重要な問題に大学としての公式見解を示すと、それ以降、一部の声高な人々が重要と考える問題についても見解を示すよう求められることになる。

例えば、ウクライナでの戦争について公式見解を示した大学は、将来、大きな注目を集める戦争についても公式見解を求められるようになり、それを断るのは難しくなるだろう。大学の「お墨付き」をあらゆるタイプの団体から求められるようになり、それを拒否すれば、その問題の重要性を低く位置付けている証拠と見なされることになる。

ひとたび大学がこの道を選ぶと、大口寄付者や声高な主張をする人たちに大学の威厳が左右される恐れがあるし、大学幹部はその見解に反対する人たちから容赦ない攻撃を受けるだろう。

開かれた議論を守り続ける

第3に、規範や、重要な社会問題や政治問題に関する理解は時代とともに進化するため、大学が現在の政治論争で何らかの立場を表明すると、間違っていたと分かったときに面目を失うことになる(20世紀前半の優生思想や、アイビーリーグの入学に関する悪しき慣行がそうだった)。

教員が後世の学問によって誤りを暴かれ、擁護した政策が後に愚かだとか忌まわしいとさえ言われるようになれば、個人の評判は傷つくかもしれない。

それは学問をする者のリスクだ。しかし、教員や学生の個人の立場を大学として支持していなければ、自由な探究の場としての大学の評判が傷つくことはない。

カルベン報告書が指摘するように、その原則には例外がある。大学はその使命を遂行する能力に直接影響を与えるような社会的・政治的問題について、意見を述べることができるし、述べるべきなのだ。例えば、検閲やアメリカへの忠誠の誓い、政府による研究支援、留学生のビザなどに関わる問題だ。

大学は自由社会において極めて重要な役割を担っている
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