ミサイルと技術の物々交換

カーンは13回にわたり訪朝したとされ、北朝鮮の弾道ミサイルを手に入れる代わりにウラン濃縮技術を提供する物々交換を持ち掛けていたとみられている。その際、一部の機材はパキスタン軍機で輸送された。

アメリカの情報機関は当時、軍機による機材輸送と、カーンの訪朝の少なくとも一部を監視していた。パキスタンと北朝鮮が頻繁に接触していることは把握しながら、米政府はその理由について十分な情報を持っていなかった。

しかも、94年の米朝枠組み合意によって北朝鮮の兵器用プルトニウム開発が凍結されていたこともあり、北朝鮮がウラン濃縮計画を進めているかどうかは最大の関心事ではなかった。この時点で北朝鮮は、核兵器を本格的に生産できる段階にはないとみられていた。

しかしアメリカではビル・クリントン大統領が政権を握る最後の年に、カーンが核技術を拡散させているとの警鐘が鳴らされ始めた。そこで米英が協力し、カーンを標的にした大掛かりな情報収集活動を開始する。

次のジョージ・W・ブッシュ大統領の下で、情報活動は活発化した。最初の標的はリビア。カーンは、リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐からも、大量の遠心分離機と1.87トンの六フッ化ウランの注文を受けていた。しかしアメリカとイギリスがカーンのネットワークを把握したためにカダフィは03年に核開発を諦め、米英との関係改善を選んだ。

カダフィが寝返ったことで、アメリカはカーンに不利な証拠を手に入れた。これによってアメリカはパキスタンのパルベズ・ムシャラフ大統領に対し、04年からカーンを自宅軟禁状態に置いた上で、彼のネットワークとされるものの解体に協力するよう仕向けた。

02年、カーンに関する調査はまだ始まったばかりだった。しかし既にCIAはカーンとリビアの取引だけではなく、カーンのネットワークに北朝鮮やシリアも含まれているという驚くべき事実をつかんでいた。

「あのネットワークに潜入してから、北朝鮮を含め、全ての国への入り口が開かれた」と、ジョン・マクラフリン元CIA長官代理はインタビューで語っている。

ジョージ・テネット元CIA長官は回顧録『嵐の真ん中で』に、次のように書いた。

遺体と共に北へ運ばれた物
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