「子供のための制度」――後にこの概念が、母となった久保田の心をがんじがらめにしていく。しかしこの時の久保田は、不安を抱きながらも、熟慮の上で「どんな子供でも大切に育てます」と鈴木に伝えた。既に固まっていた2人の決断を後押ししたのは、平本の兄夫婦の言葉だった。

平本は言う。「おふくろからは反対された。養子を育てるなんて大変だろうし、2人で幸せに生きていけばいいじゃない、と。その後、話し合う時間を持てないまま母は亡くなってしまい、とても悩んだが、その時に考えたのは今後自分が人生を共にしていくのは母親ではなく5歳上の兄貴だということ。久保田家もそうだが、迎え入れる子供を兄夫婦がファミリーとして歓迎してくれるかは、僕にとっては重要だった」

子供を産んで育てている平本の義姉が、久保田が鈴木に返事をする前日に言ってくれたひとことは、平本と久保田をその後も支えている。「産むことによっても家族になるけど、育てて初めて愛着は湧くから」――。

19年1月23 日、ハナちゃんが誕生した。12月中に家庭訪問や研修を終え、養親として本登録を済ませていた久保田は、この日を迎えるまで毎日24時間、子供のことしか頭になかった。鈴木から、「1月末に生まれる子供」の受け入れを打診されていたからだ。

「とにかく元気に生まれてきてほしい。もう、本当にそれだけ」。ハナちゃん誕生前夜の1月22日に久保田に会うと、彼女はそう言って祈るように手を合わせた。いつ生まれてもおかしくないと、夕食中も時おり携帯電話に目をやる。

ただし、この時にはハナちゃんに出会えるかどうか、まだ不確定要素が存在していた。特別養子縁組の成立要件として特段の事由がない限り実親の同意が必須で、産んだ後に母性が芽生え翻意するケースもある。鈴木からは、赤ちゃんグッズはまだ買わないようにとも言われていた。

ネットで調べられるものは調べ尽くして、「ロンパース」とは何かを初めて知り、落ち着かない日々を過ごしていた久保田に鈴木から「無事に生まれました」とメールが届いたのは翌日のことだ。鈴木から送られてきた写真を目にしたときの心境を、久保田はこう振り返った。

「もちろんすごくうれしかった。でも同時に、生まれたばかりの赤ちゃんを見て、私はこの子にちゃんと愛情を注げるんだろうかと。そこが一番不安だったかもしれない」。彼女は言葉を探すように続ける。

「......産むという行為をしていないから。10 カ月間育まれた待ち遠しさみたいなものもないし、全てがぽんぽんと決まっていって。そこで写真としてパッと送られてきても、やっぱり遠い存在なんだよね」

それでも、心に確かな動きを感じた。それまで「赤ちゃん」といっても漠然としたイメージだったのが、写真を見て一気に「この子」に変わったという。「私はこの子と人生を共にしていくんだなって。不安になったというより現実に戻った感じだった」

※続きはこちら:
母となったTBS久保田智子の葛藤の訳と「養子」の真実(後編)
<母になった久保田はなぜ「劣等感」を抱えることになったのか、その先に見つけた幸せのカタチ、養子当事者が語った「本音」と、養子縁組家庭の真実とは――>

「養子」という言葉を聞いたとき、どんなイメージを抱くだろうか。何か事情がありそうな子供、「かわいそうな」子供、もしくは「幸せな」子供――? 特別養子縁組とは、厚生労働省の言葉で言うと、「子の福祉を積極的に確保する観点から、戸籍の記載が実親子とほぼ同様の縁組形式をとるものとして、昭和62年に成立した縁組形式」のことだ。
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