江戸時代に起きた「妖怪革命」
ちなみに江戸時代に、そうした流行を加速させたのが、松尾芭蕉らを中心とする俳諧のネットワークだったのだそうだ。
初期の俳諧では、伝統的な和歌で用いられない俗語や事物を「俳言(はいごん)」として重視し、「化け物」の名前はそれにふさわしい題材のひとつだったというのである。
全国の俳人たちが、句作のために各地の伝承を集積し、クラウドデータベースのように共有したという事実も、興味深い。
なお著者はここで、民俗学者の香川雅信氏が著書『江戸の妖怪革命』(KADOKAWA)で論じている、江戸時代における「妖怪」の歴史的な変質を紹介している。以下は、著者がまとめたその論旨だ。
まず、中世における「怪異」「妖怪」は、「怪しさ」という視点、つまりある種の「上から目線」の感覚を持ちながらも、それらは不可思議な現象であることには違いありませんでした。
しかし江戸時代に入ると、「妖怪」は、名前を付けられ、ビジュアル化されることで、人間が自在に操作できる人工的なイメージへと変化します。この変化の背景には、儒教や本草学の浸透による「理性の成熟」を指摘できます。
こうして、「妖怪」たちは、黄表紙と呼ばれる絵入りのコミカルな娯楽本や鮮やかな浮世絵の主役となっていきました。また、「化け物かるた」「化け物すごろく」といった子どもの玩具にも登場するようになりました。ここでは、「妖怪」は、純然たるエンターテインメントとして消費されました。(85〜86ページより)
この文章を読んでいたら、いつの間にか「妖怪」ではなく「怪獣」を思い出してしまった。そんなこともあり、「これは現代で言うところの『キャラクター』にほかなりません」という著者の主張にも納得させられたのだった。
香川氏は江戸時代のダイナミックな「妖怪」事情を「妖怪のカンブリア爆発」「江戸の妖怪革命」という言葉に置き換えている。
理性の成熟とメディアの発達によって、「妖怪」が、人間によって操作可能な「怖くないキャラクター」「娯楽の対象」へと完全に移行した現象を指している。
もっとも、大枠としては「怖くないもの」へ移行した「妖怪」ですが、それでも、恐怖には、個人差や状況の違いによるグラデーションがありました。
たとえば、大人の理性にとっては「ただの絵や遊び」であっても、子どもたち、あるいは大人であっても、実際に何らかの超自然的な経験をした人びとにとっては、「妖怪」は、「怖いもの」だったことでしょう。(87ページより)
つまり「恐怖」のあり方やバリエーションも、妖怪に対して抱く感情も多様ということだ。だからこそ恐怖を考える際には、「ただの怖いもの」とひとくくりにしてしまうのではなく、人それぞれの感じ方=「恐怖のグラデーション」について思いを馳せることも大切なのだろう。
そうすればきっと、「恐怖」をより多角的に解釈することができるに違いない。
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。他に、ライフハッカー[日本版]、東洋経済オンライン、サライ.jpなどで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『この世界の中心は、中央線なのかもしれない。』(辰巳出版)など著作多数。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。
