そのなかでも特筆すべきは、アメリカを代表するマルクス主義思想家フレドリック・ジェイムソンによる論考であり、ここで柄谷思想の位置が(日本の外の)世界の思想の中で文脈づけられている。
日本では、柄谷は極めてユニークな存在と見られているが、全くの白紙状態から物事を考えているのではない。世界のさまざまな知的伝統に則ったうえで自らの思想を発展させているのである。
もちろん、その中心にはマルクスがあるが、そこにカントの哲学やモースの文化人類学のエッセンスも加味されている。このような伝統への忠実さ(と大胆な読み替え)ゆえに柄谷は日本の外でも読まれうるのである。
そのほかの論者も、柄谷の論考に対して(反論も含めて)それぞれユニークな応答をしているが、文学とは、単なる娯楽や純粋な美的対象ではなく、それらを越えた特別な意義があるという点では一致している。
そして、その特別な意義が文学にまだあるのかどうか、あるいはそれがかつての文学とは別の形、新しい形でまた現れるのかどうかが検討されている。
本書The End of Modern Literature: On Permanent Revolutionは2026年8月に出版されたが、一月もたたないうちにすでにトルコ語、ロシア語での翻訳の計画がスタートしている。それほどまでに、海外での柄谷に対する関心は高い。
このような状況は、2003年に『トランスクリティーク』英語版が出版された際に、現代を代表する哲学者、スラヴォイ・ジジェクによる熱烈に好意的な書評に端を発する。しかもジジェクは書評だけにおさまらず、柄谷の概念を用いて自ら『パララックス・ビュー』を執筆した。それほど『トランスクリティーク』の反響は大きかったのである。
同様に『世界史の構造』の英語版も好意的に受け入れられ、その後の『哲学の起源』、さらにそれに遡る形で、初期の『マルクスの可能性の中心』も続けて英語版が出版され、最新作『力と交換様式』の英語版もすでに刊行が決定している。しかも『トランスクリティーク』や『世界史の構造』は英語だけではなく、各国の言葉に翻訳されている。
柄谷行人に関しては、もはや彼が「日本人」であるということは問題ではなく、純粋に理論的な強度、鋭さ、ユニークさから世界中の人々の関心を集めている。柄谷思想そのものの重要性が、日本の外では認識されているということである。
ついでに言えば、明確に社会主義を標榜するニューヨークのマムダニ市長の登場など、現在の世界情勢が、柄谷のみならず、マルクス主義や左翼思想に対して人々の関心を向けさせていることも指摘できるだろう。
トランプやマスクに端的に現れている国家や資本の暴走への抵抗運動として、(日本はともかくとして)世界的には左翼運動が盛り上がりを見せている。あるいは、この情勢の中で、今後の世界史の動向を見極めたい、アメリカ帝国の没落後を見定めたいという問題意識がこの柄谷への注目につながっているとも言えるだろう。